しま:古代インドのお勉強も今日でおしまい!さて、ガンジス川下流域にあたるベンガル地方では、ナーランダーを中心に仏教の復興を目指す王朝ができました!それがパーラ朝[8~12世紀]です!”インド仏教最後の繁栄”と言って良いでしょう!その後はイスラーム勢力の進出により仏教は影を潜めていき、12世紀にはナーランダー僧院をはじめとする仏教寺院などの破壊によってインド仏教は壊滅的な状況となり、今日にいたるというわけです。
生徒:なんでイスラーム勢力は仏教のお寺を破壊したんですか?
しま:それはイスラーム教が偶像崇拝を禁止しているから!仏像は偶像崇拝だって言ったんです。さて、今日のテーマは南インド!
生徒:南インドってことは、かつてインダス文明の担い手だったドラヴィダ人の住む世界ですね!
しま:その通り!彼らはタミル語という独自の言葉を使っていました!あと、何と言ってもローマとの交易。南インドの各地からローマの貨幣がたくさん出土している。まさに、南インドは「海の道(マリン゠ルート)」における東西交易の中心地だったというわけ!
生徒:先生!「海の道(マリン゠ルート)」ってなんですか??
しま:西のローマ帝国と、東の東南アジアや中国などを結ぶ海を使った交易ルートのことだよ!地中海を出発し、ペルシア湾や紅海を通って、アラビア海を通って、ベンガル湾を通っていく道のこと!インド洋を通るからインド洋交易とも言われます。ちなみに、この交易では三角帆の帆船であるダウ船が用いられていたってことも覚えておきましょう!
生徒:なるほど!…あれ?なんか前にこのインド洋交易について、商人の活動記録が残されているって言ってませんでしたっけ??確か、エ…エリ…エリュ
しま:『エリュトゥラー海案内記』だね!1世紀頃のギリシア系商人の記録です!さて、南インドの王朝は既にクシャーナ朝と一緒に勉強したサータヴァーハナ朝と、あと2つ覚えておいてください!1つは『エリュトゥラー海案内記』にも登場してくるパーンディヤ朝[前3~14世紀]。インド半島の最南端にありました。そしてもう1つがチョーラ朝[前3~後3:古代/9~13世紀]。最盛期の11世紀にはシュリーヴィジャヤ王国に軍事遠征をしたりしてます。シュリーヴィジャヤ王国っていうのはスマトラ島とマレー半島に栄えた港市国家で、唐僧の義浄が滞在し、大乗仏教が盛んだったことで知られているよ!南インドはこれでおしまい!
生徒:ナマステ~