しま:さて、ばらばらだったインドの都市国家ですが、前317年に一つにまとまり、インド初の統一王朝が誕生します!その名もマガダ国マウリヤ朝[前317~前180年]!はい、マウリヤ朝が生まれた背景をお答えください!

生徒:え!?…そんなのやりましたっけ!?

しま:あ、そうだ。『スイミー』って絵本知ってる?

生徒:知ってますよ!「ちいさなかしこいさかなのはなし」ですよね!大きな魚に食べられないように、小さな魚たちが寄り添って泳いで、大きな魚のふりをするお話ですよね!

しま:そう!つまり、巨大な敵が現れた時には、みんなで協力して立ち向かわなくちゃ勝てないってことなんだ(本当のメッセージはそこじゃない)。さぁ、話を戻そう!前317年よりも少し前、インドにやってきた巨大な敵と言えば誰!?

生徒:えっと…インドへ侵入って言うと……あっ、アレクサンドロス大王!

しま:その通り!アレクサンドロス大王の東方遠征は、インダス川までやってきたけど結局征服できずに帰っていったんだったよね!まさにそれがマウリヤ朝誕生のきっかけなのです!さて、マウリヤ朝の正式名称はマガダ国マウリヤ朝。創始者の名前はチャンドラグプタ王で、首都はパータリプトラ。そして何と言っても最盛期の第3代アショーカ王(阿育王)!この人によって仏教世界が拡大することになる! 

生徒:アショーカ王の生涯について詳しく教えてください!

しま:アショーカ王の幼少期、父親は他の兄弟ばかりをかわいがりました。やがてアショーカ王が、大臣たちの後押しを受けマウリヤ朝第3代の王となると、邪魔者は兄弟でさえ皆殺しにした。ついたあだ名は「チャンダ゠アショーカ」。意味は「暴虐アショーカ」。彼は武力によって近隣諸国を征服すると、インド史上初の大帝国を築き上げた。しかし、カリンガという国を征服した際、多くの犠牲者を出してしまったことを後悔し、そのことがきっかけで彼は熱心な仏教徒となります。それ以降王は、武力ではなく「ダルマ」によって国を統治するようになるのです!

生徒:ダルマ…とは一体?

しま:ダルマとは「法」!ただし、法律のことではなく、仏教徒が大切にすべき道徳的倫理…って感じかな。生き物をむやみに殺してはいけません!とか、他者は尊重しましょう!とか。で、当時はテレビも新聞もないから、ライオンの彫刻を施した柱にダルマを刻んで、各地に電柱みたいに立てたんです。それが石柱碑!他にもブッダの教えを集めるため、第3回仏典結集というものを行っています。あとは…あ、卒塔婆って知ってる?

 



生徒:そとば…ですか?お墓の後ろに立ってる木の札?

しま:それ。あれ、もともとはストゥーパと言って、仏舎利を納めていた建物のことを指すんだ。

生徒:ぶ…ぶっしゃり?
 
しま:仏陀の遺骨のこと!ほら、お寿司のお米のことをシャリって言うでしょ?あれ、砕けた骨に似ているから、シャリ。

生徒:なとほど。

しま:サーンチーにあるストゥーパが有名ですね。で、アショーカ王の息子がマヒンダという人なんですが、この人がスリランカへ仏教を広めたことによってスリランカへ上座仏教が伝播することになります!

生徒:え?上座仏教ってなんですか??

しま:簡単に言うと、自ら出家して個人救済を目指す宗派です!さて、マウリヤ朝に代わり、新たにインドにクシャーナ朝が誕生します!1世紀から3世紀頃の王朝で、ちょうどローマの最盛期(パクス゠ロマーナ)と重なる!首都はプルシャプラというところ…なんだけど、この位置を見て何か気づくこと無いですか? 

生徒:あれ?マウリヤ朝のパータリプトラと全然違うところにありますね。ん?ってか他の王朝と比べて、かなり北西に国があるような気が… 

しま:そう!実はこのクシャーナ朝は、イラン系のクシャーナ族がつくった王朝なんです!だから範囲が他と違っているし、ヘレニズム文化の影響をガッツリ受けて仏像が作られたりする!ほら、ギリシア人って彫刻つくるの好きだったでしょ?その影響ではじめて仏像がつくられるのがこのクシャーナ朝の時代なんです(諸説あり)。ガンダーラ地方で栄えたからガンダーラ美術と言います! 

生徒:なるほど!ヘレニズムの影響がこんなところに現れているんですね!

しま:最盛期の王をカニシカ王と言って、よくマウリヤ朝のアショーカ王とひっくり返って出題されるので要注意!ちなみにカニシカ王は第4回の仏典結集を行っています。

生徒:ごっちゃにならないようにしないと…!

しま:さて、そんなクシャーナ朝は、ササン朝シャープール1世の攻撃によって衰退します。よしっ!最後に南インドに興ったサータヴァーハナ朝を見て終わりにしよう。

生徒:はい!…南インドってことは、アーリヤ人の進出で南へ押し出されたドラヴィダ人がつくった王朝ですか??

しま:よく覚えてたね!サータヴァーハナ朝はだいたい前1世紀から紀元後の3世紀頃の王朝で、クシャーナ朝と同時期と書かれることが多い。前に話したけど、南インドはローマとの季節風貿易が盛んで、ローマの金貨が出土しています!で、この頃ナーガールジュナという人物によって大乗仏教が確立されます!彼の著作が『中論』!

生徒:先生!それで一体“上座仏教”と“大乗仏教”の違いはなんですか??

しま:まずは大乗仏教から説明しよう!大乗仏教の特徴は「100人乗っても大乗仏教!」…これだ!



生徒:は?

しま:あ、いや、えっと、つまり大乗ってのは読んで字のごとく、大きな乗り物ってことで、たくさんの人を救済するのが目的なのね。自分を犠牲にして広く他人を救う人を“菩薩”って言うんだけど、それが特徴。で、大乗仏教からすると、それまでの仏教はあくまで出家した自分を救うための個人救済が目的だから、器が小さいって思ったわけ。それで差別的な意味を込めて小乗仏教と呼びだすんだ。

生徒:えー!そんな蔑称嫌ですよ!

しま:そうそう!だから、小乗仏教じゃなくて上座仏教って呼ばれているんだ。

生徒:なるほど。ちなみに日本にはどっちの仏教が伝わってきたんですか?

しま:上座仏教は、マヒンダがスリランカへ布教した後、東南アジアへと伝わっていった。対して大乗仏教は、ガンダーラ地方からシルクロードに乗っかり、中国・朝鮮・そして日本へと伝わった!

生徒:つまり日本は大乗仏教なんですね!