日テレの連ドラで原作者と脚本家(と、正確に言えばその間を橋渡しすべきドラマスタッフと編集者)の間で意見の齟齬が置き、最終的に原作者が自死を選ぶという最悪の結末を迎えた騒動から早くも一年以上が経過。
あれ以来、問題の脚本家はSNSを全削除し、完全に雲隠れ状態を貫き、Wikipediaによればその作品以降、仕事はしていないようです。まあ、もともと毎年毎クール仕事をしていたという感じでもないので偶然かもしれませんが……
ブログ主がこの件を気に掛けているのは、その脚本家が他ならぬ、ブログ主が大野智に沼るきっかけとなった「鍵のかかった部屋」の脚本家だからなのですが。
それも、「鍵のかかった部屋」は決して原作に忠実に書かれた脚本などではなく、むしろ主人公のキャラ設定から事件概要に至るまで、トリック以外のほぼ全てがオリジナルと言っても差し支えないくらいの改編が加えられていて、かつ、その加えられた改編を当の原作者が大絶賛して原作がドラマのキャラに寄せられたりドラマのオリジナルキャラを加えた原作が書かれたりするなどのいわゆる逆輸入が行われる、問題のドラマとはおおよそ真逆の経過を辿っているから、です。
この先、もし「鍵のかかった部屋」の続編が叶うのであれば、全スタッフ……もちろん、脚本家も込みで前作と同じ人でお願いしたい! とブログ主は真剣に願っているし、同じ思いのヲタさんは少なくないと思う。
放送時はまだ、今ほどSNSが台頭していなかったので実際のところの評判はどうだったか? と聞かれると、視聴率はすごく良かったよ、くらいしかソースが無いのですが。少なくとも、騒動勃発時に過去の作品まで引っ張り出されて批判されていた中で、「でも鍵のかかった部屋は面白かったけどね」と言ってくれている人は多かった(もちろん、批判している人もいた)
改編すること自体が悪なのではなく、今回の騒動は、あくまでも「完結してない原作をドラマ化した」「原作者は原作に忠実であることを求めていた」ことが、悪い方悪い方に作用しちゃったんだよな……
今、何でこの話題を持ち出しているのかというと、このニュースが入ってきたからです。
櫻井翔×北川景子「映画 謎解きはディナーのあとで」3月29日に放送
— 映画.com (@eigacom) March 14, 2025
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櫻井さん最大のヒット作で連ドラ、SP、映画と理想的コースを辿った「謎解きはディナーのあとで」がフジテレビ系列で放送らしいです。
ああ、これも特殊なドラマだったよなあ……と、在りし日を思い出すブログ主。
ちなみに、このドラマ放送時はまだブログ主は嵐ヲタじゃありませんでした。何なら、この数年前に放送された「流星の絆」のせいで嵐が嫌いだった時期に当たりますw(「流星の絆」の前の「魔王」は当時、まだ見ていなかった)
この「流星の絆」はブログ主が敬愛する東野圭吾氏のが原作で、ボリュームとしては連ドラにするにはちょっと足りていない。
それを、脚本家のク○カンがおよそあり得ない改変を入れまくって……とりあえず一話から下ネタまみれだった……なのに、冒頭15分というか、子ども時代の過去パートはかなり原作に忠実に仕上げられていただけに、大人パートのクソみたいは改変部は全部演じるのは嵐だからか!! と、当時は嵐ヲタでも何でもなかったブログ主は大激怒して、しかも主題歌の嵐曲がまた、シリアスなドラマに全く合わない軽い曲調で、挿入歌である中島美嘉の歌の方がよほどドラマに相応しいのにその中島美嘉が原作に影も形も無いオリジナルキャラでドラマに出演しているという複雑な事情もあって、しばらく「嵐許すまじ」「ク○カンの作品は今後生涯見ない」と決意するほどに恨みまくったし、冒頭の騒動時も「原作を改変されて許せなかったドラマ」でブログ主はTwitterで声高に「流星の絆」! ってあげてましたよ。でも腹立たしいことに、視聴率はすごく良かったしあんまり共感してくれる人もいない。何なら二宮さんヲタから「原作だってそんな話だったよね?」とまで言われたのが本当に許せなかったな……ああ、話がめっちゃそれましたが。
そんな経験を経ての「謎解きはディナーのあとで」……この当時、原作が小説としては異例とも言える大ヒットを経ての満を持してのドラマ化。しかもまた嵐が主演。うーん。でもまあ櫻井翔は「流星の絆」のド下手な主役(※当時のブログ主の主観です)よりは執事のイメージには合ってるしな……でドラマを見た。そしてとても複雑な気持ちになった。
正直、連ドラは大して面白くもなかった。当時としては珍しいアメコミ風の演出もいまいち面白さを感じなかった。でもじゃあ、原作から改変されているのか? と問われると……これがそこそこ原作に忠実だった。つまり、原作がそもそも、ミステリーとしてはお粗末な出来なのですよ。
ただ、キャラ設定とか誰でも読みやすい砕けた文体とか、全体のストーリーはそれなりに読めるものになってるので小説としてはそこそこ……それを忠実にドラマ化してしまうと、あからさまに推理の無理矢理感が際立つというか。そして櫻井さんの執事も北川景子さんのお嬢様も椎名桔平のポンコツ警部も、原作にかなり忠実なキャラだった。巷で言われるほど、ブログ主は演技も悪いとは思わなかった。のに、さほど面白くない。
そんな中、ドラマの最終回(前後編2話)やSP、そして今回放送される映画はすごく面白いと思った。とにかく、ストーリーがよかった。そしてこれらの長編作品は、全部オリジナル脚本なんですよね……今回放送される映画版、映画見に行ったなあ……そしてめっちゃ面白いな! と思ったなあ、当時……
冒頭の騒動も、ラスト二話は原作者が自ら脚本を書いていたんですけど、前8話で積み上げてた伏線その他を全部放り出すような話になってて、正直評判がよろしくなかった。一方で、今期の「クジャクのダンス、誰が見た?」ってミステリードラマ、原作漫画を読み始めたのですがドラマが思った以上に原作に忠実でびっくりした。まだ連載中(放送中に漫画は完結)のミステリーのドラマ化ってどうなのよ? と思っていたんですが、ここまで忠実ってことは、原作の完結に合わせてドラマ化で、脚本家は全部結末を聞いていたんだろうなあ……(ちなみにキャストは犯人を知らされずに演技をしているらしい)
原作に忠実に書けば面白くなるのか? 原作だと面白いけどドラマ、映画にするといまいちなのは原作のせいなのか脚本のせいなのか? 改変は絶対の悪なのか? 改変して面白くなった場合、それは脚本家の手柄なのか原作の手柄なのか、あるいは演者の手柄なのか?
この辺の問題、全ては「作品による」って回答しか無いんだろうなあ……と、もやもやしたまま、記事を締めます。