○「安全への逃避」この写真、見たことある?
●あります!これってどんな写真なんですか?
○カメラマンは沢田教一さん。この写真には、兵士や武器、砲撃によって崩れ落ちた建物、そして血の一滴すら写し出されていない。しかし、この1枚こそ、ベトナム戦争の悲惨さを世界に伝えたのです。アメリカ軍の爆撃から逃れて必死の形相で川を渡る2組の親子。軍服姿の沢田さんが向けるレンズに怯えた表情を浮かべています。1965年に撮影されたこの写真で、沢田さんはピュリツァー賞を受賞しました。
●アメリカ軍は、どうしてベトナムに爆撃をしたんですか…?
○よし、じゃあ今日はベトナム戦争の勉強をしていこう!さて、まずは復習!うなずきながら聞いてください!ベトナムはもともと北と南に分かれていて、住んでいる人も見た目も違う。別の国だと考えて欲しい。北の方は、もともと唐の支配下にあってようやく11世紀から長期政権がうまれる。李朝→陳朝→黎朝→西山朝です。ただし、これは中国から言わせると同じ国なので、同じ名前。これを“大越国”と言う!一方南はもっと早く、後漢から独立。生まれた国家がチャンパー!これは3つに区分されます。林邑→環王→占城です。この占城が最後は北ベトナムの黎朝に吸収。それが15世紀。これで南北統一!
●陳朝って、確か元を撃退してましたよね
○その通り!さて、この西山朝っていうのは、力づくで作られた政権です。建国したのは阮文岳ら3人兄弟。山賊ですわ。そしてこの西山朝を倒し、阮福暎という人物が、新たな国家を作った。それが、1802年の阮朝!
●山賊政権を倒すなんて、阮福瑛やるぅ~
○ただ、さすがに山賊の国家は強かった!だから阮福暎は1人じゃ勝てなかった。そんな時、たまたま宣教師がやってきていて、一緒に引き連れている軍隊の力を借りたんです。その軍を率いていたフランス人宣教師の名前…かなり強そうな名前ですよ!
●おっ!
○名前は…
ピニョー。
●…
○阮福瑛は…ピニョー……の力を借りて建国したわけです。さて、中国は、阮朝を“越南国”と呼びます。でね、ベトナムには儀式があって、国が変わったら清朝に挨拶に行くんです。「どうも、阮福瑛です。新しく国を作りました。よろしく。」って。でも、当時の清朝って1724年以降キリスト教排斥ですよ?
●そしたら阮朝も、キリスト教排斥になっちゃいません?
○なっちゃう。そこで、フランスと阮朝との間に摩擦が生じた。しかも、運が悪いことに、当時のフランスのトップは熱心なカトリック教徒のナポレオン3世です。最初の戦争はナポレオン3世がベトナムに対して行った戦争。それが仏越戦争。フランスが勝ってサイゴン条約です。そしたらさー、親分がおこっちゃって「おいおいおいおい!うちの子分をやってんじゃないよー!」ってね。それで、ベトナムを助けるという名目で、フランスと清朝がぶつかります。それが清仏戦争。やっぱりフランスが勝って、ベトナムはフランスの植民地となりました。この時の条約が天津条約。そして1887年、仏領インドシナ連邦ができます。ベトナム、カンボジア、後からラオスが加わった。
●1899年、ラオス加入ですね。
○約50年。フランスはずーっとベトナムに居た。ただ、1940年に撤退しなければならなくなった。
●分かった!ヒトラーがパリを陥落させた年!
○その通り!フランスはヨーロッパに戻るしかない!フランス軍は撤退し、ベトナムは空になった。その空いたスペースに入って来たのが…
●我が国、日本!
○そう!ただ、日本はうまく支配できない…。翌41年、すぐに反日組織ができてしまう。それがベトミン!正式名称は「ベトナム独立同盟」です。作ったのはホー=チ=ミン。1930年にインドシナ共産党を創設した、社会主義者です。ちなみに、ベトミンのミンっていうのは、フランス語で“結束する”という意味。この後もう一個似た単語が出てきます。それがベトコン。このコンていうのは本当はコムで“社会主義”って意味です。覚えておこう!
●そして1945年、日本が負ける…と?ベトナムは?
○そこに建国されたのが、ベトナム民主共和国!国家主席はホー゠チ゠ミン!ただ、これに納得しない国がある。フランスだ。フランスは第二次世界大戦を終えて戻ってきた。そしたらフランスと組んでいたはずの阮朝が…ないんです!「おいおいホー=チ=ミン!だめだよ、勝手に滅ぼしちゃー。認めないよ!フランスは認めない!」って感じね。
●フランスは、昔もっていた植民地を取り戻したいと!
○そう!つまり、これから話すインドシナ戦争[1946~54]は、フランスが植民地を取り戻す、帝国主義的な戦争だということです。さて、同じ名前を使うのはあれなので、ベトナム国[49~55]という国をフランスは作ります。元首はバオダイ。この人実は、阮朝最後の皇帝なんです。
●なんか、日本の満州建国にそっくりですね。
○ですね。さてインドシナ戦争ですが、長引いてくると、フランスが物資を運ぶのに手こずってくる。そしてとうとう54年、北の拠点が落ちるんです。ちょっと地図を見よう!真ん中に北緯17度線があるね。ディエンビエンフーというまちがラオスとの国境にあります。フランスはディエンビエンフーを拠点にハノイを攻めるんですが…ゲリラ戦の末に負けてしまう。負けた瞬間、フランスは休戦協定を結んで、潔く撤退です。
●先生、おかしいですよ。まだ北の拠点が落ちただけですよね?じゃあまた南に戻って戦略を練り直してやり直せばいいじゃないですか。どうしてすぐ撤退しちゃうんですか?
○それには、フランスのあるお家事情があるんです。それが入試に出る。その答えは…アルジェリアだ。アルジェリアと言えばフランス最初のアフリカ植民地。しかもアルジェリアは、いまも輸出品と言えば石油!もしアルジェリアが独立したら…フランスはタダ同然の石油を失う!そんなの無理!だから独立させるわけにはいかない!そういう理由で、フランスはそちらに向かうしかなかったんです。
●なるほど!!!
○さぁジュネーブでの話し合いの結果、とりあえず、北緯17度線で一旦休戦!そしてその2年後に、ホー゠チ゠ミンとバオダイで選挙をやって、勝った方を統一ベトナムのリーダーにしましょう!ということになった。みんなだったらどっちにいれます?…バオダイはロボットですよ。ほとんどの人がホー゠チ゠ミンでしょ。ただこの人は社会主義者だ。つまりバックには…?そう、ソ連が付いているんです。そしたらどの国が嫌がるか、分かるでしょ?
●アメリカ!
○そう。アメリカは必死になってこの選挙を止めようとする。もちろん、バオダイが勝てないことは、バオダイ自身もよく分かってた。そこで、アメリカ及び、北との統一を嫌がる南の人々は、南ベトナムに新しい国を作って、再び対抗することになった!それがベトナム共和国[55~75]です。戦争の目的の違い、わかりますか?インドシナ戦争はフランスが植民地を取り返そうとする戦いで、ベトナム戦争は、資本主義と社会主義の戦いですよ。
●完全に冷戦の代理戦争なんですね!
○じゃあなぜアメリカはこんなに必死になってるのか。ちょっと頭に世界地図を思い浮かべてください。世界で一番最初に社会主義になった国は、ソ連。1922年。次に社会主義になった国は、モンゴル。1924年。次が中国で、1949年。場所はどうですか?ソ連→モンゴル→中国…そして55年にベトナム…?ほら、北から順番に社会主義が倒れてきてるよ。次はカンボジアかな、そしてマレーシア…さらには…フィリピンがある!フィリピンには東南アジアで唯一、米軍基地があるんですよ!?そこが社会主義になったらアメリカは撤退しなくちゃならない!だから必死になってアメリカはこれを止めようとするんです。こういうのを「社会主義のドミノ現象」と呼んでいます
●なんとか南ベトナムで食い止めたいわけですね!
○さて、ゴ゠ディン゠ディエムという人がベトナム共和国の大統領。この人、大統領になった時の支持率85%ですよ!だけど暗殺される時はたったの8%。最初はみんなこの人に期待した。だってアメリカがお金を落としてくれるって言ってるからね。でも、残念。アメリカが落としたお金は、全てゴの一族が独り占めしちゃった。そしてこの人はカトリック。カトリック教徒を優遇したことで仏教徒が弾圧された。これで、支持率急降下です。怒った仏教徒は「無言の抵抗」をするんです。
●「無言の抵抗…?」
○頭から油をかぶり、座禅を組んだ状態で焼身自殺をするんです。これが様々な場所で起こった。もちろんアメリカもこれにはムカつきますよ。結局、ゴは暗殺されてしまいます。この時のアメリカ大統領はケネディ。そしてこの後出てくるのがジョンソン。そして最後、アメリカが撤退する時の大統領がニクソン。ちなみに、この「無言の抵抗」に対して、ゴの弟の奥さんは「どう思いますか?」ってインタビューをされてなんて答えたと思う?
●え…?さすがにやり過ぎだ…とか?ご冥福をお祈りいたします…とか?
○違います
「あー…坊主のバーベキューね」
です
●オーマイガ…
○それじゃあ、ケネディが苦しんだベトナムのある組織の話をしましょう!貧しい南の農民たちは、はやく北が攻めてきてくれて社会主義になってくれたらなぁ、と願っている。そこから生まれた農民主体の組織をベトコンと言います。正式名称は「南ベトナム解放民族戦線」。(最近ではベトコンという表現は使わなくなっているので注意しよう!)とは言うものの、農民の武器だから、しょせんはクワとかナタとかカマです。ベトコンは1960年に組織されたんですが、アメリカはあまり気にしてなかった。だって武器持ってないですもん。それが63年くらいになると、いつの間にか手榴弾やバズーカや機関銃を持っている!
●いったいどこから仕入れてきたんでしょう!?
○それを調べてみたら…北から流れてきていた。そのルートを、ホー゠チ゠ミンルートと言う。トラックとか飛行機とか船で運んでればすぐに見つかります。でもこれ、ほとんどチャリで運んでるんですよ。だから見つからない!
●となるとアメリカは、北をつぶすしかないですね!そうしたらもう武器は送られてこないはず。
○そう。爆弾を落とせばいいんです…が!理由がなくちゃこれはできない!そこで当時のジョンソン大統領は考えた。そしてこんな事件が起きた…
…ある日の夜中、北ベトナム沿岸でアメリカが軍事演習をしていた。驚いた北ベトナムは魚雷を一発発射した。そしたら、アメリカの船が2隻、沈没した…。
●おかしいです!一発の魚雷で2隻の船は沈まないはずです!
○まぁまぁまぁ…ね。ほら。ね。これがトンキン湾事件。北ベトナムに宣戦布告です。そして65年に北爆開始!ここからアメリカが軍事介入です!しかし…アメリカはずーっと負け越し。負けているにも関わらず、アメリカの国民にはずっと勝っている!って言い張っている。最初はたった10万だったのに、最終的には60万人の軍人を送りこむ…それでも勝てない。
●いつ、アメリカ人は負けていることに気付くんですか?
○68年のテト攻勢です。テトというのは旧正月のこと。ベトコンが、アメリカの大使館を攻撃したんです。そして、衛星放送である映像が流れた。アメリカの兵隊が、アメリカ大使館の壁を登り、そして大使館の中を撃っている映像です。そう、大使館をとられてるんですよ!これで、劣勢であることが分かるんです!嘘がばれた!ここから反戦運動が始まるんです。それから、ちょっとショッキングですが、見てみましょう。路上での処刑の写真です。ベトコンの幹部が南ベトナムの警察に捕まり、道端で処刑されている。そんなインチキ警察の味方をしているのがアメリカなんです。さらに…ソンミ村虐殺の写真が届けられる。ソンミ村にベトコンの拠点があるという噂が流れたんです。それで虐殺をした。でも、結局そんなのは無かった…という事件です。この写真はかなりショッキンですので、苦手な人は注意しましょう。もうこれ以上、戦争は続けられません。パリ和平協定で米軍は撤退。73年、ニクソン大統領はベトナム戦争の「ベトナム化」宣言をした。アメリカの支援を失った南ベトナムは勝てません。75年にサイゴンが陥落し、76年南北統一です。さて国名を覚えましょう!ベトナム社会主義共和国です。首都はハノイ。当時ホー゠チ゠ミンは亡くなっているので、大統領は部下のトン゠ドクタン。副大統領にはベトコンの幹部だった、グエン゠フー゠トがつく。明らかな社会主義国だ。ただし、一部資本主義を導入する社会主義国です。ベトナムは、80年代後半に“刷新”(=ドイモイ)政策を推進し、一気に経済成長を遂げます!
●はい先生!ベトナム戦争と聞くと、アメリカが枯葉剤を使用したと聞きますが、あれはなんですか?
○アメリカが枯葉剤を散布した理由ね。ベトコンとのゲリラ戦をやった時、いろんな仕掛けがあって、アメリカ軍がそれに引っかかるんですよ。ジャングルにあるから分からない。だっだら草木を全て枯らして、それを見えるようにしたかったんです。でも、結局枯れる前にアメリカは負けて撤退しちゃう。枯葉剤は川に流れ、田んぼに流れ、お米ができて、それをお母さんが食べて、…身体的な障がいを持った赤ん坊がたくさん生まれてくるんです。
●悲しい歴史ですね…。
○次はカンボジア内戦[1970~91]です!1953年、カンボジア王国が独立しました。ここは仏領インドシナ連邦の一部だったので、もちろんフランスからの独立です。そして、54年のジュネーブ休戦協定で独立承認です。国王の名前はシハヌーク。彼は親中反米の人。なので、SEATO(東南アジア条約機構)には入りません。この組織は、簡単に言うとアメリカが東南アジアを社会主義から守るために作った反共軍事同盟です。さらに関係が悪化するのがアメリカによる北ベトナムへの北爆です。65年、北爆の年に対米国交断絶。
●先生!前回のベトナム戦争について質問です!あの戦争って結局、アメリカの敗戦…ってことでいいんでしょうか?
○難しい質問だね。アメリカは独立戦争以降、一度も負けてなかったんです。米英戦争も米墨戦争も米西戦争も…それで、ここで負けるの?それはプライドが許さない!だから「勝った状態にしてから撤退」をしなくちゃいけない。そこでニクソンが考えた案はこう。まず、カンボジアを占領し、そしてラオスを占領し、北ベトナムを攻撃する!つまりホー゠チ゠ミンルートの逆走を考えたんです。
●それってつまり、お隣さんの家に忍び込んじゃおう…と、そういうことですか?
○その通り。1970年、アメリカはカンボジアに新政権をつくります。首相の名前はロン゠ノル。そしてカンボジアに米軍侵攻です。ただ、当然カンボジア人は抵抗しますよ。特に貧しい人たちが抵抗する。ロン゠ノルというアメリカ寄りの政権を攻撃したカンボジア版のベトコンのことを…クメール゠ルージュと言います。クメールというのはカンボジア人のこと。ルージュは赤を意味します。つまり、赤いクメール。社会主義者のグループです。
●なるほど。ベトナム戦争の巻き返しを図るため、アメリカ軍は70年よりカンボジアに侵攻した…と。でも、待ってください。73年に米軍はパリ和平協定でベトナム戦争から撤退しますよね?カンボジアには残るんですか?
○いえ。もちろんカンボジアからも撤退します。ということでロン゠ノルは一人ぼっちになっちゃいます。これで再び社会主義復活!そして76年、クメール゠ルージュのトップが首相に就任します。それがポル゠ポトという人。民主カンプチアの建国です。これが間違いだった…。ポル゠ポトはロン゠ノル政権の時には中国に亡命していた。なのでバックについているのは中国です。
●ん?…この頃の中国って確か…文化大革命…
○そう!ドンピシャなんですよ。ポル゠ポトは政権に就いた途端にこんなことを言い始める。それが「原始共産主義」。ただの社会主義ではありません。都市を全て破壊し、全ての人が農村に住み、農業による自給自足で生活をする。“農村へ帰れ”がスローガン。もちろんこれは、ある人の影響を受けている。
●毛沢東ですね!
○その通り。もちろんこれには多くの人が反発しますよ。でもみんな殺されてしまう。どれくらい虐殺されたか…だいたい200万人と言われている。当時のカンボジアの人口は600万ですからね?600万分の200万人ですから。あまりに多くて、死体を埋める場所が無くなっちゃうんです。仕方ないから田んぼに…。こういう場所をキリング゠フィールドと呼ぶ。そこには塔が建てられていて、中に頭蓋骨がたくさん納められています…。
●想像もできない悲惨さですね…
○これは良くない政権ですよ。カンボジアのベトナム側にはベトナム人も住んでいるので、それを助けるという名目で78年、ベトナム軍が侵攻してきます。そして翌79年、カンボジアに新たにヘン゠サムリン政権が誕生します。バックについているのはベトナム。ただ、これをポル゠ポトを支援していた中国が認めないんです。そこで同じ社会主義国同士なのに、ベトナムと中国が中越戦争を起こします。さて、この79~91年の間はもっとも悲惨な内戦となりました。この当時、たくさんの地雷が埋められ、日本にもたくさんのカンボジア人が難民としてやってきました。
●『地雷ではなく花をください』という本を読んだことがあります!とてもメッセージ性を感じる絵本でした!
○先生も持っていますよ。さぁ結局カンボジアには全部で4派が鼎立していたんです。ヘン゠サムリンに対して、ポル゠ポト派、シハヌーク派、そしてロン゠ノルの部下だった人がソン゠サン派です。この内戦は1991年、カンボジア(パリ)和平協定でいったん決着。それからUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)でカンボジアを支援していきます。そして1993年。独立から40年経って、再び国王にシハヌーク、首相にはヘン゠サムリンの部下だったフン゠センという人が就きました。おしまい。
●先生…。どうしても、カンボジアにベトナムが侵攻した理由が弱い気がするんですが…
○…実はね。78年って、ベトナムはもう比較的安定してるんですよ。だから軍人たちは何十万人とリストラされている。そういう人たちが暴れている…。つまり失業した軍人を雇用するためカンボジアに入っていったんです。
●ってことは、ベトナムのカンボジア侵攻は失業者対策だった…と。
○そういう側面もある、という話です!