◯さて、今日は明・清代の社会経済史です。

 

●らす

 

◯長江下流域を中心に(絹織物)・(綿織物)などが発達します。例えば(蘇州)の絹織物とかね。あ、あと陶磁器も引き続きつくられていますよ。さて、陶磁器と言えば…?

 

●はい!景徳鎮!

 

◯その通り!陶磁器と言ったら江西省の景徳鎮!宋の時代から有名でしたね。場所も絶対覚えておこう!

 

●…あれ?でもちょっと待ってください!宋の時代って米作の中心地が長江下流域の江浙地方でしたよね!?「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」だったはずです!そこで絹織物や綿織物が発達しちゃったら…いったいどこで米を作るんすか!?

 

◯するどい!実は明末頃から米作の中心地は長江中流域の湖広地方へ移動するんだ!フレーズも「湖広熟すれば天下足る」に変わるよ!

 

●こりゃ入試で出そうですね。

 

◯続いて商業の発展!(山西商人)や(徽州(新安)商人)が台頭して、全国的に活動します!日本だと行商と言われるような人たちですね。山西商人は万里の長城を、と新安商人は江南地方を拠点に活動しました。彼らは主要都市に(会館)や(公所)という建物を設置します。これは同業者の情報交換の場だったり、宿泊施設だったり、倉庫としての機能も持っていました!

 

●この頃になると、大航海時代もピークを過ぎて、海外貿易が盛んになってくるんでしたよね?

 

◯そう!16世紀以降ヨーロッパ人がたくさん来航してきます。そしてメキシコ銀や日本銀が流入し、銀の大量流通が起こります。ちなみに、スペインのガレオン船で、メキシコはアカプルコからフィリピンのマニラを経由して中国へ銀が運ばれるのですが、これをアカプルコ貿易(=ガレオン貿易)と言います。

 

●銀が大量に流通しているから、銀で納める税制も発達するんですね!

 

◯そういうこと!地丁銀制は康熙帝の時代からです。明の万暦帝の時の一条鞭法と何が違うかと言うと、地丁銀では人頭税が地税に組み込まれていて、事実上廃止されていくんです。

 

●一条鞭法は“一括銀納”というだけで、あくまで人頭税に地税にそれから徭役と…すべて納めていたわけですもんね!

 

◯はい、じゃあ最後に地主制の拡大について!佃戸による(抗租運動)が15世紀半ばの(鄧茂七の乱)をはじめ、明末清初にかけて頻繁に発生します。とうもしちはハイレベルなんで、むしろ抗租運動をしっかり覚えておきましょう。これに伴って地方有力者が成長します。(郷紳)です。経済的には地主階級で、科挙官僚の予備軍でもある人です。以上!おしまい

 

●今日は、冷たい雨でしたね。いやですね。梅雨。

 

◯ね。先生も雨は大嫌いです。まさに

 

●雨降って

 

◯ジ エンド

 

●かたまるだわ

 

☆センターチャレンジ

明代後半の経済について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[03 追試]

① 中国産の銀は、日本へも大量に輸出された。

② 政府は財政難のため紙幣を乱発し、経済が混乱した。

③ 政府の進める税の銀納化に反対して、抗租運動が展開された。

④ 新安商人や山西商人が活躍した。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

正解は