○今日勉強するのはアロー戦争。別名、第2次アヘン戦争とも呼ばれるこの戦争は、清朝の没落を決定付けるものとなりました。

 

●アヘン戦争の講和条約である南京条約の内容では、イギリスは満足しなかった…ということですか?

 

○そうなんです。南京条約で開港場を増やしたイギリスは、このあと綿製品の中国輸出が増えることを期待していた。そもそも、イギリスが一番売りたいのはアヘンじゃなくて綿製品ですからね。ところが、開港場が増えても、イギリスが期待したほど売れ行きは伸びなかった…。

 

●ほうほう。それでイギリスはどうするんでしょう。

 

○イギリスは、開港場をもっと増やせば、輸出も伸びる!と考えた。特に、清朝の都、北京の外港である天津です。ここを開港させることが重要だと考えた。開港場を増やすには、新しい条約を結ばなければなりません。ということは、もう一回戦争を仕掛けて、清朝を負かして条約を結ぶのが一番手っ取り早いですね。というわけで、アヘン戦争後から、イギリスは清朝に戦争を仕掛けるチャンスを狙っていました。

 

●その戦争のきっかけが1856年のアロー号事件だと。

 

○そういうこと。事件が起きたのは、広州の港。アロー号という船が広州に入港したのですが、この船が海賊船であるという情報が入った。そこで、広州の警察がアロー号に乗り込んで調べてみると、本当に海賊船だったのでその乗組員12名を逮捕した。ちなみに乗組員は全員中国人だった。

 

●はい、先生!警察が海賊を捕まえるのは当たり前のことだし、逮捕者も全員中国人なら何も問題はないはずです!

 

○しかし、イギリスは、清の警察が船に乗り込んだ際に、船のポールに掲げてあったイギリス国旗を引き摺り下ろした、という点にいちゃもんをつけてきた。これは、イギリスに対する侮辱だ!と。

 

●それが戦争の理由になっちゃうだなんて…!?

 

○同じく1856年、広西省でフランス人宣教師が殺害される事件が起きています。これを受け、フランスもイギリスと共同で清朝に宣戦しました。この時のフランス皇帝は誰だでしたか?

 

●ナポレオン3世!

 

○その通り。英仏連合軍が天津に迫ると、清朝は降伏し、1858年に天津条約が結ばれます。この条約には、イギリス、フランスの他に、ロシア、アメリカもちゃっかり参加しています。

 

●あっさり終わっちゃいましたね…

 

○ところがどっこい、条約が結ばれ英仏軍が去っていくと、清朝政府内で、対外強硬派が力を持ち始めます。つまり、「まだ戦えるぞ!」と言っている人たちです。1859年に英仏の使節団が、条約の批准書を交換するためにやってきたところを、なんと天津の近くで砲撃して追い払ってしまいます。戦争再開ですよ。そして1860年には、再び英仏連合軍が北上し、北京に向けて進撃。時の皇帝である咸豊帝(かんぽうてい)は、北方の熱河という町の離宮に逃亡し、北京に残された政府が連合軍と北京条約を結び、清朝は再び降伏しました。これでようやくアロー戦争終了です。

 

●抵抗を続けたことで、余計なダメージを受けてしまったというわけですね…。

 

○この時、北京近郊にあった円明園(えんめいえん)は、英仏軍によって略奪破壊されてしまった。宣教師のカスティリオーネという人が、ヴェルサイユ宮殿を摸して設計したバロック式のとても美しい宮殿でした。現在でも、円明園の跡地はあえて廃墟として残されています。

 

●蛮行を今に伝えるため…ということですか。

 

○では、最後に。北京条約の中身ですが、これほとんどが天津条約の中身です。じゃあ何が北京条約で付け加えられたのかという点を、しっかり整理しながら覚えましょう。

 

まずは、開港場の増加です。天津条約では南京や漢口や淡水や台南など10港が、北京条約ではさらに天津が追加で開港となりました。そして、キリスト教の布教の自由化。外国人の中国国内の旅行の自由化。これにより、商人はどこにでも行けるようになりました。さらに北京に外国公使の駐在を認めました。これを契機に1861年には総理各国事務衙門という、日本で言うところの外務省にあたる機関が清朝に誕生しています。そして、ようやくここでアヘン貿易公認です。アヘン戦争後の南京条約では触れられていなかったアヘンについて、ついに正式に認めました。で、北京条約で新たに付け加えられた内容としては、さっき書いた天津開港の他にもイギリスへの九竜半島南部の割譲があげられます。以上。

 

●うーん…これは清朝にとってはかなり苦しいですね…

 

○忘れちゃならないのは、この時期、南京を中心として太平天国の乱という内乱が起きているということ。内側では反乱、外側からは列強の侵略と…まさに内憂外患だったのです。

 

☆センターチャレンジ

19世紀に2度あったイギリスとのアヘン戦争(2度目の戦争はアロー戦争を指す)について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[03 A本試]

① 最初のアヘン戦争の結果、香港島と九竜半島の一部がイギリスに割譲された。

② アロー戦争の結果、長江中流の漢口も開港された。

③ 最初のアヘン戦争では、イギリス人ゴードンの率いる常勝軍が活躍した。

④ アロー戦争では、イギリスがアメリカ合衆国とともに清と戦った。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

正解は