○中世ヨーロッパ文化の最終日!今日は大学についてです。はい、問題。大学を英語で何というでしょうか?
●collegeもしくはuniversityです!
○そうだね。一般的に「college」は専門大学・短大などを指し、「university」は総合大学を指す言葉として使われているけど、その区分は英語圏の国でも曖昧なので気にする必要なないでしょう。で、今日はその「university」の元となった「universitas(ウニヴェルシタス)」のお話です。
●よろしくお願いします
○そもそもどうして大学が誕生したのかと言うと…十字軍がきっかけなのです。十字軍によってイスラーム世界に温存されていたギリシア、ローマの学問が西ヨーロッパ世界に逆輸入されたのです(=12世紀ルネサンス)。アリストテレスやエウクレイデス、ヒッポクラテスといった哲学・数学・医学等の著作やローマ法が、アラビア語版から西ヨーロッパの言葉(=ラテン語)に翻訳されました。大学はこの時期に生まれたのです。中世ヨーロッパの大学というのは、教師と学生によって構成された“ギルド”の一形態であり、教師と学生が大学の自治の担い手でした。ギルドの存在形態が地域、時期によって異なるように、ウニヴェルシタスのあり方にも違いがあります。中でも対照的な存在が、ボローニャ大学とパリ大学でした。
・ボローニャ型…ボローニャにはイタリアのみならずドイツやフランスからも法律を学ぼうとする学生が数百人も集まりました。遠方から単身でやってきた学生たちは、下宿代や生活必需品の値段をつり上げようとするボローニャ市民に対抗するため「組合(ウニヴェルシタス)」を結成しました。これが現在に至る「大学」のそもそもの起源です。当時の大学は定まった建物を持たなかったので、下宿代を下げなければ学生一同で他所に引っ越すことも簡単だと言われたボローニャ市民は、(学生に退去されて一銭も入らなくなるよりは安値でも居てもらった方がマシだと)やむなく学生の要求を飲みました。教授たちは嫌々ながらも学生の動きに従います。教授は学生の支払う授業料がなければ生活出来ないからです。さらに学生は教授に対して授業料相応の講義を要求しました。許可なしの休講は厳禁、5人以上の学生を集められないレベルの低い講義は罰金、時間厳守、教科書の記述を飛ばして教えることは禁止、だからといって序論とかに時間をかけすぎることも禁止…等々。文句があるならさようならです。ちなみに「学長」は学生の組合長が務めているので、これらのことからボローニャは「学生の大学」と呼ばれているのです。そこで教授たちは自分の学問の質を維持しつつ学生に対抗するために「教師組合」を結成しました。これに入るためには試験にパスする必要があり、この試験が「教授免許」の始まりとなったのです。学生は別に教授になるつもりがなくても大学で学問を修めたことの証拠として、この免許を求めるようになります…つまり「学位」の発生です。
・パリ型…ボローニャとは逆に、教授が主導権を握っていたのがパリ大学です。歴代ローマ教皇の多くがこの学校の出身。ボローニャでは、学生は他所者の集団、教授はボローニャ市民権を持っていたことから両者の関係には緊張感がありましたが、パリでは教授も他所者のままであったことや、こちらの学生はボローニャと比べると若くて貧乏人が多かったこともあり、教授・学生間の対立は存在しなかったようです。あとパリの学校の特色に「学寮(カレッジ)」というものがあります。もともとは金持ちで気前の良い人が貧乏学生に与えた小屋だったのが、やがて(そもそも大学には決まった建物がないので)講義もここで行うようになりました。フランス国王フィリップ2世は、「警官は現行犯以外に学生を逮捕出来ない。その場合も身柄を教会に引き渡す」「学生は聖職者身分でなくとも聖職者扱いにして、パリ司教の教会裁判権のみに服する」という特許状を発行しています。
○まとめます。つまり、大学というのは人間集団のことで、校舎やキャンパスのことではないんです。当時の大学は校舎をもたず、教会の施設などを借りて授業をしていました。だから、移動もしやすかった。オクスフォード大学からケンブリッジ大学が分離独立したというのはその典型的な例なのです。
●大学ではどんなことを学ぶんですか??
○専門となる柱は、神学・法学・医学・あと哲学です。大学によって、専門分野は違います。他にも教養科目として、7自由学科というものが存在しており、文法・修辞・弁証の下級3科と、算術・天文・幾何・音楽の上級4科があります。
●なるほど。で、具体的な大学名を覚える、と。
○ですね。まず、ヨーロッパ最古の大学が北イタリアのボローニャ大学。法学です。続いて南イタリアのサレルノ大学。ここは医学。ヒッポクラテスの医学を研究しています。最古だから建物ぼろぼろボローニャ大学。医学は「何かされるの!?」サレルノ大学と覚えよう。
●意外と覚えやすいかも…。
○ね!続いてパリ大学とオクスフォード大学。どちらも神学です。この間話したばかりのトマス=アクィナスやロジャー=ベーコンはパリ大学出身。オクスフォード大学はウィクリフの出身大学でしたね。で、そのオクスフォード大学から13世紀に分離独立したのがケンブリッジ大学。もちろん神学です。同じころ南イタリアにできたのがナポリ大学。ここも神学。つくったのはフリードリヒ2世です。
●うへー…覚えるの大変…
○あとちょっとだよ!神聖ローマ帝国最初の大学はプラハ大学!14世紀にカール4世が創設した神学大学です。フスの出身大学として有名ですね。ちなみにカール4世は、金印勅書を出した人ね。で、最後はウィーン大学。これも神学。以上!
●大学に入るのって難しかったんですか??
○大学に入るには、特に試験はなかったけど、登録料は必要だったし、教科書も講義も全部ラテン語だったので、前もって最低でもラテン語をマスターしていなければなりませんでした。これは都市や教会の運営する学校(8歳ぐらいから入学した)や、家庭教師に教わったらしい。パリ大学は13歳ぐらいから入学する者が多く、ボローニャの1年生は18~25歳ぐらいであったといいます。パリとボローニャでどうして差があるのかと言えば、パリの学生はまず人文学部に在籍する必要があった(でないと神学に進めない)のに対して、ボローニャの学生は余所で(あるいは家庭教師に習って)人文学系の勉学を終えた上でボローニャにやってきたから、ということらしいです。授業に用いるテキストは、哲学部ならアリストテレス、法学部なら『ローマ法大全』、神学部なら聖書、医学部ならヒッポクラテスやガレノスの著作でした。ただ、この教科書がとにかく高い。この時代の大学には図書館がなかったので、教授・学生は書籍商に規定の料金を払って本を借りて、それを写字職人に筆写させました。例えばボローニャ大学では教授の年収は150~200リーヴルでしたが、1冊の本を筆写するのには挿絵なしでも20~60リーヴルかかったという。つまり年収の3分の1です。貧乏な学生(あるいは教授)の中には、この写字職人のアルバイトをする者もいたようです。