○755年、安史の乱勃発。
●え!?いきなり!?
○反乱軍のリーダーが安禄山(あんろくざん)と史思明(ししめい)だから、2人の名前の頭文字をとって安史の乱。わかりやすいですね!
●安禄山ってなにものですか?
○彼は当時、河東節度使など、北方の3つの節度使を兼任するほどの有力者!反乱をおこした理由は宰相として常に皇帝のそばにいる楊国忠。名前から察しはつくと思うけど、この楊国忠は楊貴妃のまたいとこにあたります。玄宗皇帝のまったく個人的なごひいきでの人材登用のつけがまわってきた…そう思ってください。
●なるほど…で、玄宗と楊貴妃はどうなっちゃうんです!?
○玄宗は楊貴妃を連れて長安から逃げます!しかしその途中で、彼らを護衛するはずの親衛隊が反抗を始めるのです。「安禄山の反乱は、楊貴妃のせいだ…」と。結局玄宗は、田舎のまちのお寺に楊貴妃を連れ込んで、処刑させるのです。玄宗と楊貴妃の恋愛物語のクライマックスですね。このあと玄宗は退位し、息子の肅宗(しゅくそう)が即位しました。ちなみにこの人、楊貴妃のもともとの旦那さんね。
●愛する人を失った玄宗の悲しみは、想像もつきません…。
○ちなみにこの時の政府は、安史の乱を鎮圧するためウイグル族に援助を要請しました。なんでウイグルかって?「安心しな?俺らは仲間さ、Weグルさ!」ってことです!
●よくわかんないですけど、唐の政府がぼろぼろなのはわかりました。
○国内が荒れている中、763年、長安は一時的に吐蕃によって占領されています。
●OMG
○反乱の鎮圧後、唐の朝廷は長安に帰ってきますが、都はすっかり荒れ野原…。唐の詩人である杜甫(とほ)の「春望(しゅんぼう)」という詩をここで紹介しておきましょう。
国破れて 山河あり
城春にして 草木深し
戦乱で荒れ果てた長安の風景を嘆いている詩ですね。
○さて、安史の乱の後、唐の政治と社会は大きく変質します。まず政治ですが、中央政府の統制力が低下したことにより反比例で有力節度使が民政や財政を握って自立化し始めます!これを藩鎮という。
●軍・民・財を牛耳っているのが藩鎮というわけですね!
○その通り!続いて社会だけど…土地は荒れ放題で、均田制を維持することができません。均田農民は没落し、小作農になっていきます。この小作農のことを佃戸(でんこ)という。で、均田制が崩壊すれば、セットで機能していた租庸調制も崩れます。かわりに実施された税制が両税法。これ重要。
●両税法とは!?
○夏と秋の2回の収穫期に、銭納で税を集めます。一年2回の徴税だから両税法!780年、徳宗という皇帝の時代に楊炎(ようえん)という宰相の提案で始まりました!政府は、これ以外にも塩の専売制を強化して、国家財政の充実をはかります!
●武帝みたいなことしてるんですね。でも、そろそろ唐の終わりも近そう…
○ライフ残りわずかの唐に最後のダメージを与えたのが黄巣の乱(こうそうのらん)[875~884]でした。ちなみに、乱を始めたのは王仙芝という人です。この人たちは塩の密売人。政府の売る価格よりも安く売って利益をあげていたんですが、取り締まりが強化されて反乱を起こしたわけです。さて、反乱軍は次から次へと都市を占領して略奪していきます。が、のちに内部分裂を起こします。
●内部分裂…?
○黄巣の右腕であった朱温という人物が、「黄巣が居る間は、自分はNo.1にはなれないやないかい!」と考え、敵(=唐)に寝返っちゃうんです。右腕を失った黄巣は、結局勝てない。そこで、黄巣が自殺してこの乱は終わります。さぁ、唐は大喜びですよ!寝返った朱温を褒め称えて、朱温に「唐に忠誠を尽くす人物」という意味で、“全忠”という名前を授けるわけです。ということで朱温は“朱全忠”という名前に変わったのです。
●でも…なんか甘くないですか!?一度裏切った人間は2回、3回と裏切るような…
○その通り。907年、朱全忠は唐を滅ぼして皇帝に即位しました。都は開封。国名は後梁(こうりょう)です。
●おわった…。
○今日はここまで!11月とは思えない寒さが続いているけど体調管理には気を付けて!
●そうなんですよー…なんか学校全体がバタバタしてて、体調崩しちゃいそうです。
○とりあえず水分補給を大切にね!冬だとそんなに喉も乾かないし、汗をかいてる実感が無いからついつい何も飲まなくなりがちだけど、そうすると風邪をひきやすくなっちゃうよ!オススメは朝起きたらコップ1杯の水を飲むこと!できれば白湯が良いかな?
●は…はく…
○さゆね!お湯を少し冷ましたものです。寝ている間に失った水分を補ってあげられるのはもちろん、体内の老廃物を流しで、胃や腸などの内臓を目覚めさせて、自然に体が活動モードに切り替わります!
●へぇ…やってみます!
☆センターチャレンジ
8世紀の唐の政策について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[00 追試]
① 府兵制が崩壊していくのに対応して、衛所制を施行した。
② 節度使を内地に置いたが、彼らは次第に独立性の強い地方勢力となった。
③ 儒教経典の解釈を統一するため、『五経大全』を編纂した。
④ 租庸調制が機能しなくなり、新たに均輸法によって税を徴収するようになった。
正解は
②