○さて、中宗が韋后に毒殺されちゃったけど、そこに中宗の甥の李隆基(りりゅうき)が兵士を率いて宮中に乗り込んできて、韋后らの一派を排除したところからだね!唐の宮廷を正常化した李隆基は第6代の皇帝となります。これが唐の中期の繁栄をもたらした、あの有名な玄宗皇帝[位712756]です。

 

●聞いたことあります!

 

○玄宗時代の繁栄は「開元の治(かいげんのち)」と呼ばれる。2代太宗の「貞観の治」と間違えないように!さて、玄宗の治世を支えた有名な2つの政策を見てみよう!

 

1.募兵制の実施

それまでの府兵制は、均田制・租庸調制と三位一体になっていた。しかし、この頃不作もあり、「税金も納めて、時には兵隊に行く可能性もある」というのは負担が大きすぎるんです。中には土地を捨てて山へ逃げ込んだり、裕福な家へ転がり込んだりするものも出てきました。そうすると税収入は減るし、農地は荒れ放題です。もちろん兵士も居なくなります。そこで玄宗は、お金で兵隊を雇う募兵制を実施したのです!

 

2.節度使の設置

辺境防備の軍、およびその指揮官のことです。玄宗皇帝以前にも存在しましたが、玄宗はこれを十節度使設置しました。

 

●良い感じですね!

 

○玄宗時代の751年、歴史上とても意味のある戦いがおこります!タラス河畔の戦いです。イスラームはアッバース朝との戦い。唐は高仙芝が軍隊を率いましたが敗北、捕虜として連行されるものも多数。

 

●どうして歴史上意味があるんですか??

 

○捕虜の中に製紙法の職人が居たんですよ。それで、イスラーム世界に製紙法が伝播するんです!

 

●なるほど!751年タラス河畔の戦いで製紙法が伝播ですか!しっかり覚えておきます!

 

○さて、玄宗の話に戻すけど、皇帝の仕事はかなりしんどい。宮廷での政務は夜明け前に始まって、次から次へと官僚が持ってくる書類を決裁していく。皇帝は偉いんだから手を抜こうと思えばいくらでも抜けるけど、そうすると宦官や外戚などの実力者が勝手な振る舞いをするようになるから、一生懸命やるんです!

 

●大変ですね…。あ、そういえば皇帝って定年はないんですか?

 

○これが無い!玄宗はまじめに仕事をやり続け…いつの間にか即位30年を越えていた。するとだんたん政治に対する情熱も失われていく。かわりに彼は、ある女性へと情熱を向けるようになっていくのです…。

 

●また女性ですか!

 

○玄宗が惚れたのは、楊貴妃という人物。もともとは玄宗の息子の妃の一人でしたが、そんなのおかまいなしで、後宮に入れてしまいます。簡単にいえば息子から嫁を奪ったんですよ。まぁ、いずれにせよ玄宗と楊貴妃の世紀の愛のはじまりはじまり~です。

 

●ロマンチックです…ね…ってあれ?…でも、けっこう年離れてませんか?

 

○2人が出会った時、楊貴妃は27歳、玄宗は61歳。34歳差ですね。

 

●わおー!愛に年の差なんてなんとやらってやつですね!

 

○さてさて、玄宗は夜が明けても宮廷に出てこなくなります。お昼までずーっと楊貴妃とイチャイチャしてるんですよ。長安の近郊に華清池(かせいち)っていう温泉地があるんですけど、2人はよくそこに遊びに行ったそうで、今でも有名な観光地になってます。ってわけで、出世したければ楊貴妃に取り入ればよい、そんなムードが漂ってきます。で、玄宗は楊貴妃のいとこである楊国忠を宰相に任命するんです。これには、他の有力者はなかなか納得いきませんよね。そしてとうとう玄宗の晩年に、唐を揺るがす大反乱が勃発してくるんだけど…長くなったから次の記事で!

 

 

 

 

 

 

☆センターチャレンジ

中国史上の女性をめぐる事柄について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[03 本試]

① 則天武后は、皇帝に即位し、国号を周と称した。

② 唐の玄宗は、楊貴妃を寵愛して黄巣の乱を招いた。

③ 東晋の王羲之は、宮廷女性への教訓を絵画化した「女史箴図」で知られている。

④ 太平天国は、女性に纏足を強制した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は