○さて、今日のテーマは朝鮮半島です。
●中国史の中でちょっとだけ出てきてましたよね。衛氏朝鮮を前漢の武帝が前108年に征服して、そこに朝鮮4郡を置いたとか!…あれ、なんでしたっけ?新歯のレントゲン??
○「新歯のレントゲン楽だろう」ね!真番・臨屯・玄菟・楽浪の4つ。特に楽浪郡は位置まで覚えておきましょう。で、そのすぐ後、前1世紀には朝鮮半島の北方に高句麗という国が生まれます。とりあえず先に高句麗だけ見ちゃいましょう。
●こうくり…こっくり…
◯いや!起きて!高句麗は、ツングース系の民族によって丸都を都に建国されました。313年にはさっき出てきた楽浪郡を征服して、どんどん拡大。そして4~5世紀にかけて、広開土王(=好太王)の時に全盛期を迎えるのです!
●あ、知ってるかも。百済と倭の連合軍を、2回も追い払ったんですよね!
◯その通り!そして、彼の業績が刻まれているのが広開土王の碑です。とりあえず高句麗はこのへんまで。
●話を戻しましょう。
◯後漢の時代、楽浪郡の南部に帯方郡というものができます。そして3世紀頃、朝鮮半島南部は“三韓”に分かれています。
●三韓??
◯馬韓と辰韓と弁韓ね!なまりで分かれています。馬韓を統一したのが百済、都は漢城(現ソウル)。辰韓を統一したのが新羅。そして弁韓には統一国家は現れなかったので、加耶諸国があったと覚えておきましょう。
●覚えるの大変…
◯いや、新羅はしんだろ?辰もしん。ほら覚えた。こっちは、百済だろ?で、馬だから…これはもうどうしようもないな。ばかはくだらない、とでも覚えておこうか。
●ばかはくだらない…
◯ちなみに日本に仏教を伝えたのはこの百済だからね!538年のこと!で、日本では高句麗・百済・新羅の三国を指して4世紀~7世紀を朝鮮半島の三国時代と呼んでいます。加耶は入ってないから注意。さて、もともと日本は加耶と手を組んでいた。でも、その加耶が562年に新羅によって倒されたので、日本は百済と手を組んだ。でもその百済も新羅と唐(高宗)の連合軍によって660年に倒されてしまった。日本は百済を再興すべく、水軍を送り込んで戦うんだけど、結局負けちゃうんだよね。
●あ!中学校で習いました!663年、白村江の戦いだ!
◯それな。で、ここでちょっと予習。中国は隋の時代に高句麗を攻めていた。隋の煬帝は3回せめて全部失敗。唐の太宗も2回攻めている。計5回攻めているけど勝てない。挟み撃ちにしないと勝てない。そこで高宗は、新羅を結んで668年、ようやく高句麗滅亡です。と…何を思ったか、ここで新羅が唐を裏切るんですよ。突然唐の安東都護府を攻めて、もともと平壌にあった都護府を遼東まで押し出すんだ。これによって朝鮮半島は新羅が統一したことになる(676年)。
●どうして新羅は唐を裏切ったんですか?
◯だって、このまま手を組んでいても国力の差からいって唐に朝鮮半島を取られるのは目に見えてるもん。それなら先に唐を不意打ちして、朝鮮半島を確保しとこうってわけ。
●いやでも、そんなことしたら唐は怒って攻めてくるでしょ。
◯だから新羅の国王は、この一件の後、すぐ謝りに行くんですよ。突然うちの若い連中が攻めたてて申し訳なかった。これ、お詫びの品です(お詫びの品ズラーッ)。今後は、あなたの家臣として、言うことを何でも聞きます。朝貢いたします。だから、朝鮮半島は任せてください。って。
●なんかうまいですね。家臣になるって言われたら、許すしかないですよ。
◯こういう関係のことを冊封体制といいます。詳しくはまた後で。さて、新羅の都は金城(慶州)です。仏教国です。仏国寺とかあります。骨品制というのは、苗字で身分が決まる制度。難しく言うと血縁的身分制度だね。以上!
☆チャレンジ
前漢の武帝が建てた楽浪郡を、4世紀に滅ぼして朝鮮半島北部を支配した国はどこか。
正解は
高句麗