○今日のテーマは「ヘレニズム時代」。“ヘレニズム”とはドイツの歴史家ドロイゼンの造語で“ギリシア風”という意味です。

●もしかして、ギリシア人が「ヘレネス」って自称していたから「ヘレニズム」ですか?

○その通り!オリエント世界にギリシアの“風”が吹き込んでくる時代…それがヘレニズムなのです!というわけで、今日はある一人の人生を追っていくよ!その名も、アレクサンドロス大王!

●聞いたことあります!映画にもなってますよね!?

○もちろん!さて、昨日の話に戻るけど、アテネとテーベの連合軍が、北方のマケドニアの侵攻によって破られた戦いは?

●カイロネイアの戦い(前338年)です!

○そうだね!で、マケドニアを強大化させた国王がフィリッポス2世という人物!今日の主役、アレクサンドロス大王のお父さん!

●負けちゃったギリシア諸ポリスは、フィリッポス2世に同盟を結ばされるんでしたよね。コリントス(=ヘラス)同盟。

○そう!これは、フィリッポス2世率いるマケドニアが、アケメネス朝ペルシアへ侵攻するための下準備だと捉えてね!

●なるほど!いよいよアケメネス朝ペルシアに進撃できますね!

○と、思った矢先…。なんとフィリッポス2世が暗殺されてしまうんだ。

●なんと!!!

○新しくマケドニア王となったのがフィリッポス2世の息子、アレクサンドロス大王!即位した時、なんと20才。

●若い!!!

○彼は、子どもの頃からアリストテレスのもとでギリシア的教養を学んでいました。そして、父親の連戦連勝の知らせを聞くたびに「おいおい…俺のやることが無くなっちまうぜ…。」と嘆いていたらしい。

●血気盛んな!

○さて、父の遺志を受け継ぎアレクサンドロスは満を持して“東方遠征”(前334~前324年)を開始します!出発地はマケドニアの都、ペラ!ペラ!ペラ!ペラ!

●ペラペラペラペラうっせぇな。はい!つまり、この東方遠征開始の前334年から、ヘレニズム時代も開始!というわけですね!

○その通り!ギリシアの風がいよいよ吹き始めたわけです!さて、アレクサンドロス率いるギリシア軍がアケメネス朝と最初に衝突したのが前333年イッソスの戦い!この時のペルシア王が誰だったかは…覚えてるよね?

●簡単です。ダレイオス1世です。

○ちがうわ!ダレイオス1世はペルシア戦争(前500年~)の時の王でしょ!?ダレイオス3世ね!

●あ、そっか。

○で、イッソスの戦いではダレイオス3世が負け、逃げます!アレクサンドロス大王、その後を追わず、一旦エジプトへ。

●え!なぜです!?

○彼はエジプトのファラオのような強大な王権を理想としていたんだ。だから、アケメネス朝ペルシアを征服する前に、エジプトをペルシアから解放することで、自らにオリエント風専制君主としての箔を付けたかったんだね!

●なるほど。ファラオになったのか。

○そして前331年、アルベラ(ガウガメラ)の戦いでダレイオス3世を破ります!敗れたアケメネス朝は前330年に滅亡。さんさんと燃えるペルセポリス。しかし、大王の東方遠征はまだまだ終わることを知らない!!!

●おぉ!このままどんどん東へ進んでいくわけですね!もしかして…日本まで!?

○ところが前326年、インダス川を渡りインドへ侵入したところで、部下が一言…


「そろそろ故郷へ帰りたいよ…」


●なんと!…でも…マケドニアを出発してもう8年経つんですもんね。ふるさとが恋しくなるのも分かる気がします。

○ちなみに、アレクサンドロスがインドへ侵入したことによってインドにはマウリヤ朝という、初の統一王朝が生まれるんだ!頭の片隅に残しておいてね!

●はい!それでこの後、大王はどうするんですか!?

○アラビア遠征を計画中にバビロンで急死。まさに突然の死。

●えぇ!!!こんだけ広い領土を手に入れてたのに死んじゃったんですか!?じゃあ、この領土はどうなっちゃうんですか!?彼の遺言は!?

○「最強の者が帝国を継承せよ」

●……それが遺言ですか…?そんな曖昧なこと言ったら揉めちゃいますよ!

○まさにその通り。大王の死後、すぐにディアドコイ(後継者)戦争が起きてしまうんだ。特に大きな戦いが前301年のイプソスの戦い。よく、イプソスとイッソスを間違えちゃう人が居るから気を付けよう。で、この戦いで帝国の分裂が確定。大きく3つだ。マケドニアにはアンティゴノス朝マケドニア(前276~前168年)、アジアの領土はセレウコス朝シリア(前312~前63年)、エジプトにはプトレマイオス朝エジプト(前304~前30年)。この、プトレマイオス朝がなくなる前30年をもって、ヘレニズム時代も終了です。

●あ!!!それで確かセレウコス朝シリアからはパルティアとかバクトリアが自立してくるんでしたよね!これでようやく東洋史のNo.7と繋がったわけか!

○その通り!よし、じゃあ最後にアレクサンドロス大王の「東西融合政策」についてまとめて終わりにしよう!

●東西融合??ってことは征服した先のペルシア人たちと深く関わったんですか?

○彼はギリシア人男性とペルシア人女性の集団結婚式を行ったし、自らもダレイオス3世の娘と結婚しているんだ!

●すごいっすね!言葉はどうしたんですか??

○ギリシア語のコイネーを共通語として使用した!ついでに貨幣はアッティカ貨幣で統一!

●ん?資料集に載ってるアレクサンドリアってなんですか?

○アレクサンドロスが征服した各地に建設したまちのこと!70ヶ所とも言われてるんだけど…特に有名なのがエジプトのアレクサンドリアだ!プトレマイオス朝の都となり、政治・経済・文化の中心として繁栄した!王立研究所のムセイオンも創設されたんだけど…はい、クイズ!博物館のことを英語でなんというでしょう!

●え!?えっと……ぱ…パフューム!

○どうして!?ミュージアムの語源が、まさにこのムセイオンなんです!









☆センターチャレンジ

地中海・オリエント世界における君主について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。〔04 追試〕
①エジプトのアメンホテプ4世(イクナートン)は、アモン神を唯一神とする宗教改革を行った。
②ヘブライ人の王国は、ダヴィデ王のときに新バビロニアにより征服された。
③マケドニア王のアレクサンドロスは、前4世紀後半にペルシアへの遠征を行った。
④ササン朝ペルシアのシャープール1世は、イスラム教を国教とした。