姉は小さい頃からピアノを習っていました。
大学を卒業すると子どもの頃からの夢だった公立中学校の音楽の教員に。
「お姉ちゃんはちゃんとしとるのに、あんたは何やっとるんや!」
学生の頃、母から、よく叱られました。
今も、あまり変わらないけれど。
母からすれば、ちゃんとしている姉は、10年ほど経った頃、一旦、教員を辞めてしまいます。
母は、ものすごい剣幕で怒っていたけれど、僕は、どこかでホッとしていました。
これで優等生の姉と比べられないという自分勝手な理由で。
しばらくは楽器会社が運営するピアノ教室で教え、
その後、出張クラシック教室のような県の事業で、
何年かチェコ人のバイオリニストのピアノ伴奏者として岐阜県内の小中学校を周っていました。
僕も一度、見学させてもらったけれど楽しそうだったなぁ。
そのチェコ人のバイオリニストとは、僕も仲良くさせてもらい、
ホワイトマンプロジェクトでクレイアニメーションを作ろうとしてチェコを視察した際、
いろいろ、お世話になりました。
クレイアニメーションは早々に頓挫しちゃったんですけどね。
僕の話はともかく、
姉は県の事業の後、
高校で音楽の代用教員を何年か過ごしていました。
40代に入った頃でしょうか。
私立高校の音楽の教員としての話が舞い込み、悩んだ末、引き受けました。
自由な暮らしが、再び一転。
生徒のトラブル処理などで早朝から夜中まで忙しい日々を送り始めます。
ある時、車の中の会話で、
音楽に携わり続けていくための選択についてつぶやき、
様々な彼女の葛藤を想像したことがありました。
あれから20年。
今年、定年を迎えます。
今後の母の介護のこともあるので相談した際、後、5年は続けたいとのことでした。
音楽家として、また、教育者として充実しているのでしょう。
身内ではありますが、一人の人間として応援したいと思います。