世界の豆腐ができるまで
 
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116.世界の豆腐ができるまで

一皿限りのミルフィーユ。

たったこれだけで、今までのことをなかったことにしろというのか。
一見、精緻に練られたロジックに一端の破綻を見出せば、稚拙な仕組みに気付いてしまう。


「また借りを作ってすまんね。」
申し訳なさ気に君は言う。
それはもう、負債だ。
貸しではない。

その場限りの苦しい言い訳。
言い訳ではないらしいのだけど、それを判断するのは君ではない。

その場限りの言葉によって、同じところを何度、行き来するつもりなのか?
死ぬまでか?


とっくの昔に見限った。

甘い甘いミルフィーユ。
見るからに甘い。

作られた皮膜を積層する。
結果、幾つかの私のエクスタシーは奪われて。
創造をする苦しみを味わうこととなる。


君はもう、君自身の道を行け。
私は私自身の道を行く。

世界の豆腐が出来るまで。

お知らせ

わたくし、世界の豆腐の諸事情によりしばらく更新できません。
非常に不本意なのですが申し訳ないです。

ごめんなさい。

いつになったら更新再開できるのか目途も立ちません。
本当にごめんなさい。

115.夫婦茶碗

その逞しい腕で、夫婦茶碗を次々に作り上げていく。
イギリスから視察に来ていたヘンリーはたまがった。

言葉を出そうとしても、言葉にならない。
ヘンリーの口からは空気が漏れるだけだった。


その日の視察スケジュールを終え、ホテルに帰ったヘンリーは一夜にして報告書を書き上げた。
家内制手工業の経営効率化と生産性の向上について。

ことに、夫婦茶碗の製造に於いては改善の必要性はない。
悪い意味ではなく。
我々が入り込む余地が全くないのだ。

本国に帰ると馬鹿にされるだろう。
批判の矢面に立たされるかもしれない。


容易に想像できることではあったが、逞しい腕から次から次に生み出される夫婦茶碗の様子を思い出すと、未だに体の震えが止まらないのであった。

ジョンブルの精神も、夫婦茶碗の前では屈してしまうのか。


ヘンリーの内面世界での2つの気持ちがせめぎあったとき、生まれたのがこの曲です。
聞いてください、豆腐。

114.まごころ

人生にはまごころが必要だと思った。
たとえ拒絶されたとしても、それをも受け入れる大きな心。

例え、世界のどこかで誰かに幸福や悲しみが訪れていたとしても、それでも地球は回っている。
大きな波にも動じない、大らかさを手に入れたかった。

思考の次元を繰り上げるとでも言うのかな?
選民思想の一種であろう。


計算高くても、それがバレなければ自然。
したたかさを持ち併せながら、人工的ながらも自然な振る舞いを見せていた。

人工物でも年月が経てば自然と一体化する。
私は信じて、どのような幸福や不幸をもまごころをもって迎え入れた。


「あなたの笑顔、気持ち悪いよ。」
誰かに言われた。

人工物が自然と一体化するとは言えども、それは一部であって、大勢は淘汰されるのであった。
そのことをすっかり失念していた私の心は、見事に真っ二つに折れたのだ。

この出来事を暗示していたかのように、タイ国内では、豆腐が一斉に真っ二つに折れるという怪現象に見舞われたのであった。

113.勾玉を曲げないで

ゴッドハンド。
いわゆる神の手によって見出された勾玉たちは、偽造されていた。
自作自演によって発掘された悲しき勾玉。
行く末は、廃棄か保存か。

廃棄論者、保存論者ともに失意と悲しみに包まれていたのは言うまでもない。

「神はそもそもいなかった。」
語った関係者の言葉には力がなかった。


廃棄論者たちは、作られた神の手の存在自体を忘れるために、これまでの偽造品の廃棄を訴えた。
保存論者たちは、作られた神の手を永遠に晒し者にするために、これまでの偽造品の保存を訴えた。

双方の主張は平行線を辿り、いたずらに時間ばかりが過ぎていた。


彼らは気付いていない。
不毛な話し合いをしている間にも、第二第三の神の手を持つものたちが生まれようとしていることに。

思うことがあった私は、窓辺に腰掛けて豆腐を強く握り締めた。
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