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広島原爆で被ばくした方の治療などをした経験がある肥田 舜太郎(ひだ しゅんたろう )医学博士がビキニ環礁水爆実験について興味深い事を述べていたのでご紹介します。肥田氏によると、1954年のビキニ環礁水爆実験による被害は第5福竜丸だけではなく、実際には700を超える数の船が被曝していたようなのです!

しかも、米国は証拠を隠滅するために被ばくした船の船員に金を渡していたとのことで、半世紀前から今の原子力村と同じような構造が出来上がっていたことが分かります。それにしても、今まで大々的にこのような情報が全く出て来なかったことに私は驚きました。


肥田医師
「福竜丸のビキニでの事件。日本では福竜丸だけが被ばくしたように扱われていますけども、700数十艘という日本の船が同じように全部被曝したの。アメリカと日本政府が全部隠しちゃった。そして、船主にアメリカが沢山のお金をくれて、労働者はその日に全部首を切って、帰ってしまった。帰って行った労働者はだいたい、30歳前に癌で死んでいるという記録がある。」

↓以下の動画の19分40秒辺りから。
☆肥田舜太郎:隠された内部被曝~シーベルト&ベクレルにだまされるな!


☆HD 1946 ビキニ 環礁 核実験 の 映画 核爆発 原爆


☆ビキニ水爆実験 被曝者はいま
URL http://www.morizumi-pj.com/bikini/bikini.html

引用:
 アメリカは広島・長崎に原爆を投下した1年後の、1946年7月、史上4番目の原爆を中部太平洋マ-シャル諸島の、ビキニ環礁で爆発させた。 以後13年間にビキニ、エニウェトクの二つの環礁で66回の核実験を行った。
 1954年3月1日ビキニ環礁で行われた、米国の水爆実験「ブラボ-」は史上最大の15メガトンだった。 広島原爆の1,000倍のウルトラ水爆だった。 周辺海域で操業中のまぐろ漁船、第五福龍丸など日本の漁船1,000隻以上が被曝した。

 ビキニから180km離れたロンゲラップ島民は避難させられずに、激しい衝撃波と爆風、そして放射能を含んだサンゴの粉が島中に降り積もった。いわゆる「死の灰」だ。
 子供たちは初めてみる雪のような白い粉を身体にかけて遊んでいた。やがて激しい嘔吐、皮膚の炎症、脱毛などの急性放射能障害が島民を襲った。

 その後米艦船に収容され、3年後、「安全宣言」を信じて、実験当時島にいなかった島民も一緒に、帰島した。しかし、残留放射能で島は住める状態ではなかった。
 実験当時島外で無事だった人も、汚染されたヤシガニやパンの実、魚などの食物などを通じて内部被曝をしてしまった。

 奇形児や流産などの異常出産、甲状腺ガンや白血病で次々に斃れて行った。
 1985年、放射能汚染のひどい故郷を離れたロンゲラップ島民は200km離れたクワジェレン環礁のメジャット島に脱出したのである。

 実験のときロンゲラップ島の村長をしていたジョン・アンジャインさんは被曝者の記録をつけている。 1冊のふるぼけたノートには当時の被曝者86人の名前が記されている。 名前の横にX印がついている。死亡者と甲状腺の手術をした人だという。 すでに38人が亡くなっている。(1997年時)無印の人は4分の1にも満たない。
 ロンゲラップ島には実験の1週間前に米軍がやってきて「お前たちの命は親指の先しかない」とアンジャインさんの目の前に自分の指を立ててみせたという。 「みんなモルモットにされたんです」とくやしそうにアンジャインさんは言う。
 その時からすでにロンゲラップ島の人々の運命は核開発競争に血道を上げたアメリカに握られていたのだ。
:引用終了


わすれないで―第五福竜丸ものがたり (絵本のおくりもの)


ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸


内部被曝の脅威 ちくま新書(541)


黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア


検証 福島原発事故 官邸の一〇〇時間


東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと (幻冬舎新書)


福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書


検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか


GMP基準認可 ヨウ素250mg錠剤