2001年にニューヨーク同時多発テロが発生し、日本では北朝鮮による拉致事件が発覚しました 


当時私は埼玉県桶川市に住んでいたのですがこのテロと拉致発覚以降私の周りに軍用機がやたらと飛び回るようになりました 

近くに基地など無いのに自宅の真上や出掛けた先に頻繁に現れるのです 

また散歩中にセスナに何度も真上を通過されたり、ヘリに百メートルほど真上をついて来られたこともありました 

またパトカーや救急車まで頻繁に現れるようになりました

こんな感じです



なので自分がテロリストや北朝鮮の工作員として疑われ国から監視されていると思うようになりました 

そこで自分がテロリストととして疑いをかけられるような出来事が過去になかったか自分の過去を振り替えってみたところ少しずつおかしなことがあったことを思い出したのです 


そしてこれらの出来事やニュースなどから私が警察による拉致事件捏造に利用されていたことがわかったのです 

さらにテロや拉致など、過去に騒ぎとなった大事件が実はFBIや日本の警察によるインチキだったことがわかったのです 

今ニュースは嘘で塗り固められています 


まず今回の記事で過去の事件や私の周りで起きた出来事を時系列で紹介し、次回の記事で時系列を元に私が拉致事件捏造に利用されていたことを解説をします 


87年 

韓国で大韓航空機爆破事件発生

事件は翌年のソウル五輪妨害のための北朝鮮による犯行とされました


北朝鮮はこの事件を日本の仕業に見せかけるために犯人金賢姫に日本語を習わせたが、その日本語教育係が日本人だという情報が出ました

しかしそれが誰なのか当時はまだ断定されていませんでした 



89年 

ここから私が登場します 

この頃私は世田谷の某大学の学生で、バイトをしながら独り暮らしをしていました 


ある日バイトの派遣で渋谷のNHK前辺りに立っている時に観光客らしき男が私がカメラの画角に入るように写真を撮ろうとしていたので気になって移動したらまた画角に入るように撮影してきたということがありました 


また別の日にバイトで環八の某所に立っている時に目の前に黒い車が停車して窓を開けて私の写真を撮って素早く走り去って行ったこともありました 


さらにその後、今度はそのアルバイトの事務所に警察が来てなんらかの事件の聞き込みを行っていったということがあったのです 

私はその場におらず後から聞いた話なので聞き込みの内容はわかりませんでした 


それからしばらく経ってから私が出かけようとアパートの階段を降りようとしたら下から制服警官が階段を登ってこようとしたこともありました 

しかし単にすれ違っただけで職質などは全く受けなかったのでなにをしに来たのかは不明です 


これらのことからすると、私を撮影していたのは警察で、聞き込みも私に関するものだった可能性があるわけです 

しかし警察は私に話を聞かなかったので私の名前は出さなかったのでしょう 


実はそれ以前から私には警察からマークされるような理由がありました

私は高校時代から視線恐怖症、対人恐怖症という精神的病を発症していました 

そのため大学の構内や通学時の電車の中やコンビニなどの店の中などあらゆる場所で常に人の目を気にしていて挙動不審になってオドオドしていました 



こういう状況なので例えば鉄道警察や巡回中の警官など、どこかで警察に目をつけられていた可能性があったのです 


しかし警察が犯人の疑いがある人間の目の前で撮影すれば逃亡したり証拠を隠したりする恐れがありますからそもそもこんな捜査はおかしいですよね 


時系列に戻ります



91年5月 

上記のようなことがあった翌々年、警察が87年に起きた北朝鮮による大韓航空機爆破事件の犯人の日本語教育係が日本人田口八重子さんだと公表したのです 


この田口さんの出身は埼玉県川口市上青木という場所なのですが、当時私の父親の職場がこの上青木にあり、私の一家が住んでいたのは川口の隣の浦和市でした 



警察が私の周りに現れるようになった2年後に今度は私の家族と共通点がある拉致事件の情報を警察が公表したのです 

 

さらに個人情報が関係するので具体的には書けませんが、この年に某テレビ局が私や拉致を連想させるような番組を放送をしていたのです 



93年

その後私と北朝鮮と結びつくような出来事が 

恥ずかしい話、私は当時毎日のようにパチンコをしていたのですが、当時の外務大臣武藤嘉文氏がシンガポールての記者懇談会でパチンコ店が北朝鮮に送金を行っていると発言していたそうです

ネット上ではこの発言が「国会答弁で」とされていますが実際には記者懇談会という小さな場所での発言だそうです


 

警察が私の周りに現れるようになったり私の周りで事件が起きた翌年に今度は拉致事件や北朝鮮で私と共通点ができるような情報が出てきたのです 


これだけでは終わらりません 

まだまだ続きます 



94年3月 

2度目の留年をしたため田舎の桶川に戻りそこから通学するようになる 



95年3月

大学を卒業 


同年6月 

私は地元の三菱マテリアル桶川工場に入社しました 

マテリアルの主要な製造品は自動車部品でしたが極わずかですがミサイル部品の試作品も製造していました 


同年7月31日 

三菱マテリアル桶川工場で死亡者が出る大きな爆発事故が発生しました 


入社してひと月も経たないうちに起きた事故です 



96年1月 

正月休みの最中にマテリアルで今度は空き巣被害が発生 

この空き巣では私が犯人として工場側に疑われました 

理由として空き巣の数ヶ月前に私は視線恐怖症を治すため某病院での治療のための費用のローンを組んだのですが、そのローン会社から職場に本当に働いているかの確認の電話がかかってきていました 

私はこの電話や視線恐怖のせいで自分が疑われるのではという恐怖心にとりつかれ、空き巣の話が出るたびに挙動不審になっていました 

そのせいで本当に周りから疑われたのです 

当然マテリアル側は警察には通報したでしょうが当時警察が私に接触することはありませんでした 


同年2月 

マテリアルに居づらくなって結局辞めてしまいました 



このように大学を卒業してからも私の周りで事件が起きて自分が疑われ警察が現れたのです 

また爆発事故でも事故調査で警察が加わっているはずです 

大学時代に続きまた警察が私の周りに来たのです 


もうここまで事件が重なれば偶然でないことがわかりますよね 


さらに続きます 



2000年12月 

世田谷一家殺人事件発生

具体的には書けませんが事件現場である祖師ヶ谷は学生時代に私と関係があった場所なのですそして警察が私の周りに現れるようになったのも学生時代です 

また事件現場の足跡から犯人が韓国で売られている靴をはいていたとされましたが、拉致事件には在日韓国人も関わっていることになっていました 




2001年 

この年に9.11ニューヨーク同時多発テロと北朝鮮による拉致事件が発覚と世界と日本で大ニュースが続いた年でした 

そしてこの後から私の周囲に軍用機などの航空機が飛び回るようになり、自分が監視されていると思い始めこのように自分の過去の回想をするようになったのです 


2002年9月 

小泉元首相北朝鮮訪問で拉致被害者帰国 

また大韓航空機事件への関与を認めていないはずの北朝鮮が、なぜか田口八重子さんの拉致を認めたという日本政府による公表もありました 


これにより田口さん拉致事件が裏付けらたことになるわけです


2006年1月 

三菱電機の95年のミサイルに関する情報が関係先企業から北朝鮮に漏洩したことが発覚 

↓ 


95年は私が三菱マテリアルに入社した年で爆発事故もありました

またマテリアルではミサイル部品も製造していました 


同年1月 

視線恐怖を治すためにマテリアルで働いていた頃に通い始めた某病院で医療違反が発覚しニュースになりました


同年11月 

拉致被害者とされる曽我ひとみさんの帰国から4年も経ってから曽我さんの拉致実行犯の似顔絵公表 

その拉致犯の似顔絵が私の家族にそっくりだったのです 



これらのことで間違いなく自分が北朝鮮の工作員として疑いをかけられてることを確信しました 


2007年 

私が住む埼玉県内で起きた渡辺秀子2児拉致事件が発覚し大ニュースになりました 

↓ 


田口さんも同じ2児の母親でしたので埼玉県で同じような拉致事件が発覚したわけです 

またこの事件の犯人は日本にいるため警察が聴取を行うとしていましたが、その後いまだに行われていないのです 



以上が主な時系列です

長くなったので次回の記事で今回の時系列のまとめを解説します

拉致事件が捏造されていることがわかります