こちらの記事の
続き的??内容です♡
↑に書いた
弟の自死から約8か月
私は大学3年生、
冬になっていました。
春休みに弟が亡くなって
お通夜
お葬式
両親はもう泣き狂っていて
親戚一同てんやわんやで
私は大学を辞めて
実家に戻ろうかとも考えたけど
『あなたは大学に戻りなさい』
と言ってくれた母のおかげで
(本当に今でも感謝しています)
私は大学に戻りました。
が。
運が悪いことに
3年生の4月からはじまったのは
解剖学実習。
献体(生前に医学の発展のために
賛同いただいたご遺体)の
解剖を約1年間かけてやる日々。
正直弟の遺体が衝撃過ぎて
ご遺体と毎日過ごすのが苦しすぎて
あまり実習はよく覚えておらず
いつの間にか私は
1年で10㎏くらい
痩せていました。
数少ない友人に
このしんどさはちょっと
伝えてはいたけど
『こんなこと言っても
相手の負担になるだけだし
言っても仕方ない』
そう思って
どんどん一人でいることを
好むようになりました。
英語の学習は
とてもいい気晴らしになって
当時私はN●VAに
朝から晩までいりびたっていました。w
(伏せ字の意味。笑)
で、12月のある夜。
N●VAからの帰り道。
外は寒くて
クリスマスが近づいて
町はイルミネーションがきれいで
でも、もちろん私は
一緒に過ごす恋人もおらずw
友人はみんな
彼氏がいたり
実家に帰ったりしていて
弟を失った衝撃や
実習の衝撃、つらさ、しんどさ
それを分かち合える人もおらず
『孤独だな、、、、』
と思いながら繁華街の
夜道を歩いていたんです。
その時。
突然
『アンケートいいですか??』
と呼び止められ
『は、はい、、、、』
と応じました。
で、いろいろ
年齢とか身分とか聞かれて
次にその
声をかけてきた人から
でてきた質問が
『あなたは、今
幸せですか??』
だったんですよね。
これ、今から考えると
新興宗教の勧誘だったんですがw
『????』
って一瞬なったんですが
『はい、私、幸せです』
って迷わず口をついて
応えてたんですよね。
正直、自分でも
びっくりしました。
ちなみに、声をかけた人は
もっともっとびっくりしていてw
『え???ほ、本当ですか??
本当に幸せですか??』
って聞いてきて。笑
(何気に失礼ww)
改めて考えて、でも
『はい、幸せです』
て答えていました。
相手の方は
めちゃくちゃ戸惑いながら
『そうですか、、、、汗』
といって、去っていきました。笑
あの時は確かに
外側の条件で考えたら
私はちっとも
『幸せ』では
なかったんですよね。苦笑
過干渉の親から
散々干渉されて
やっと実家出て
自由になったと思ったら
弟が自死して
大変な両親の面倒
みるのは私だけになったし
弟の遺体をみて
衝撃をうけているのに
1年間毎日夜遅くまで
ご献体と格闘し続け
その大変さもしんどさも
誰にも言うことができず
どんどん痩せていって
友人に「痩せすぎ!!」と
心配され。
クリスマス近く
恋人もいなくて
クリぼっち確定。笑
でも、私は
確かに『幸せ』
だったんです。
今、こうやって
呼吸をして、生きている。
肉体が動いている。
肉体が温かい。
心の深いところまで
話すことはできなくても
心配してくれる友人は
数は少なくてもちゃんといて
自分が学びたいことを
ちゃんと学んでいて
自分の未来をこれから
自分でつくっていける。
だって、私は今
まだ生きているから。
自分の肉体を
自分の思うように
動かせるから。
弟の遺体を
一晩中見つめ続け
触り続けてみて
若いから生きているのは
当たり前ではなくて
肉体が動くって
本当に奇跡で
今こうやって
息をして
言葉を交わして
生きている。
それは、本当に
すごいことなんだなあ
と
改めてその質問で
気付かされたのです。
これ、本当に
強がっているわけでも
ポジ変していたわけでもなく
ただただそう思って
『ああ、私、大丈夫だ。
この想いがあれば
私は生きていける』
って思ったのを
今でも思い出します。
今から思い返したら
『あるを見る』
『お金はあると気づく』
これを、改めて
強化した瞬間だったなあ
と
思うのです。
頭はついつい
他人や外側と比べて
『ない!ない!ない!ない!!!』
って騒ぐけど
本当は、いつも
『ある』しかない。
これを、いつもいつも
あの透き通った
寒い12月の夜とともに
何度も何度も思い出し
私は『大丈夫』になるのです。
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