ついつい『ない』ばかりみて、

『ある』って思えません。

 

 

これって本当に

よく受ける質問で

私もかつて、そう思っていました。

 

 

お金は『ある』つったって

100円じゃあるっていえねーんだよ!!

 

 

家があるのも空気があるのも

本当に感謝だけどさ!!

そんなの当たり前じゃん!!!

 

 

そうじゃなくて、

もっとこうお金ウン百万とか

ウン千万とか、そういうのがさあ、、、!!!

 

 

って。ww

 

 

しかしながら。

 

 

同時にやっぱり

 

 

こんなの『ある』って

言えねえ、、、!!!!

って私が降り切れなかったのが

 

 

自分より若い命が

立たれる経験をしたから。

 

 

そして

命の現場に

ずっと立っていたから。

 

 

『ある』が見えないって、

本当は、とっても贅沢な悩みって

本当は、どこかで知っていたから。

 

 

でも、本当に本当に


この『日常』も


命があることも


衣食住がとりあえず

安全であることも

 

 

『絶対』ではない。

 

 

天災、震災はもちろん

そんな大きな出来事でなくても

明日生きている保証なんて

本当はどこにもない。

 

 

ある日突然

『日常』が変化する。

 

 

その現場に立ってきたから。

 

 

だから、どこか

『ない』って言いきれない

自分がいて

 

 

でも同時に

 

 

それだけの痛みを感じているのに

 

それだけの後悔を感じているのに

 

 

ちょっと『日常』に戻ると

それを『当たり前』って

あぐらをかいている自分がいる。

 

 

本当に、

人間の脳って恐ろしい。

 

 


3番目とスタバデートしてきました♡笑



でも本当に

弟が亡くなってから

10年以上は

 

 

『もう大切な人と

次回は会えないかもしれない』

 

 

と思って生きてきて

それが怖すぎて

本当に遠くに一人で

生ききることができなくて

 

 

本当は、

遠くに行きたい自分が

ずっともがいていたけど



それ以上に

 

 

『突然会えなくなることがある』

 

『大切だって伝える前に

突然いなくなることがある』

 

 

その『事実』が

私を縛り付けていた。

 

 

この能天気な

脳機能のおかげで

 

 

時間をかけて

徐々に徐々に

その『恐怖』は薄れていったけど

 

 

この『日常』は

『当たり前』でなはい。

 

 

自分が選んだ

命の現場で

私はずっと

その片鱗に触れ続けている。

 

 

『痛みが薄れていく』


『忘れていく』


『この日常が当たり前に

続くと思っている』

 

 

この脳機能は

生命維持に必須な機能で

 

 

こういう風に

『忘れて』いないと



とても怖くて

生きてはいけなくなるから

 

 

こういう機能がついていると

思っているんだけど

 

 

そこにあぐらをかいていると

 

 

つまり

 

この『日常』が当たり前で



あたたかい家やお風呂

きれいな水

電気

 

 

それがあるのが

『当たり前』で

 

 

大切な人が

明日も生きていることが

『当たり前』

 

 

それにあぐらをかいて

 

 

『そんなの当たり前』

『そんなのたいしたことない』


=ないないない!!

 

 

って思っていたら

 

 

大切なことを

見逃してしまうことがある。

 

 

 

そして、

自分の命が終わるときに

後悔することがある。

 

 

 

『ない』を見れるって

本当はとっても贅沢で

豊かな悩みだったんだな。

 

 

『当たり前』が

『当たり前』じゃないと

つきつけられる現場で今日も

 

 

私は『命の使い方』を

模索しているのです。



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