先日、大好きな
「3月のライオン」の
一こまを読み返して思ったこと。
「好奇心は猫を殺す事があり」
「高すぎるプライドは、
人を殺す事がある」
これは、私が20歳の時
弟を亡くして思ったこと。
ちょうど24年前の
今日のような桜の日。
弟はなくなりました。
自死でした。
今、自死がいいとか悪いとか
あってはならないこととか
そういう気持ちは全然なくて
ただただこの季節は
弟を思い出し偲ぶだけなのですが。
ちなみに3月のライオンはこのシーン。笑
先日のブログでも書いたように
私自身のプライドが激高で
生きるのに本当に苦労したけど
でも私は
そのプライド以上に
「私はそんなになんにもできない」現実に
打ちのめされるのが早かったのとww
そのプライド以上に
その先に欲しいものがあったから
そこにゲロゲロしながらも
手を伸ばせたけど
弟は
私以上にプライドが高すぎて
(もともの素材もあったと思う)
そして「失敗」を「非」とする
家族に育てられて
小さいころから
もともとの能力も高くて
「失敗」はありえなくて
「できない」はありえなくて
順風満帆に思えた人生だったけど
どんどん成長するにつれて
自分よりも「できる」人が
どんどん出てきて
自分の「万能感」が損なわれ
自分は「思っていたほどできないんだ」
と悟ったとき
本当に、
どうしていいか
わからなくなったんだろう、と
今私は勝手に思っています。
そして
「現実の自分」「現在地の自分」に
耐えられなくなって
人生を終えることを選んだのかな、と
思っていたりします。
(真相は、本当に不明。
私に見えていた世界の話です、
あしからず。)
で、何度も繰り返しますが
私は弟の選択を、
今は非難も否定もする気はなくて
(昔はめちゃくちゃ
悲しんだし悔しかったし
責めまくったけども)
ただ、一つ、
ずっと思い続けているのは
「生きていれば、必ず
「思っていた世界」以上の世界が、
現れる瞬間がくる事がある」
ってことで。
少なくとも私は
弟が悩みぬいていた時期の
私から比べて
24時間頭の中が怒り狂っていた私が
こんなに穏やかな気持ちで
人生生きれると思わなかったし
自分の人生全然悪くないな!って
思える日が来ると思わなかったし
こんな私のことでも
とても大事にしてくれる
人たちがいることを
知ることができた。
何より一番の収穫は
人生が素晴らしい、と思えるのは
〇〇できるから、とか
すごい人だから、とか
能力が高いから、とか
何かを達成したから、とか
そういう「外側の条件」に
関係するからでは全然なくて
ただ、生きて
たくさんの気持ちを感じて
大事な人とふれあって
たくさんの経験ができるから
ということに
心から納得できたのが、
本当に
「私が生きてきてよかった」と
私が「こんな自分はもうやめたい」と
思っていた「高すぎるプライド」は
全然「私自身」ではなくて
その「高すぎるプライド」は
私が勝手に着ていた「着ぐるみ」で
その「着ぐるみ」を脱ぐのは
裸の王様より恥ずかしい事だと
思い込んでいたけれど
「着ぐるみ」を脱いだら
初めて「私の人生」が
スタートした感じだった。
死ななくても、
生き直す事はできる。
自分と向き合う
勇気があれば。
あの時
弟に伝えられなかった事を
心から伝えられるように
なってきた今
いつかあの世に行った時
土産話をたくさんしようと
毎年桜を見ながら
思うのです。
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