こちらの続きです♡


それでですね、

 

今回の本題なのですが(遅!!笑)


 

『生命力』もそうだし

『存在意義』もそうだし

『自分の価値』もそうなんだけど


 

●●という条件がととのっていないと

 


例えば



五体満足、病気しないじゃないと


誰かの役にたっていないと


社会的に認められる資格やキャリアや収入がないと


 


私には『生命力』がない


私には『存在意義』がない


私には『自分の価値』がない



 

ってすべて


  


私の○○(生命力、存在意義、自分の価値)



外側(条件)次第



なんです。


 


これって



めちゃくちゃぶれる。 


 

めちゃくちゃしんどい。


 

日によって

状況によって



私の『生命力』も

『存在意義』も

『自分の価値』も


ぐらんぐらん変動する。



(FXか!!笑)


くらもとえつこさんの投稿を拝見して、投資ノートをつけ始めました♡(というかノートわけてみた♡)楽しい♡

 


でですね



私は小さいころ


ずっとずっと



『私の価値』は『成績次第』だと思っていて 


 

開業医の子供で

当然のように『跡継ぎ』認定されて



(今跡継いでないけどね、、、ごめんね、お父さん、笑)


 

『成績がいい』と親の機嫌がよくて

『成績が悪い』と怒られてねちねち責められて、笑

 


私のこと

『成績次第』で愛しているように感じて



 

たとえ条件がそろっていなくても


どんな私でも愛してほしい



ってずっと願っていた。

 


だから反抗期には


親が嫌がるようなことをいろいろしてみて



「こんな私でも好きっていえる??どうどう!!?」



ってやっていた。笑


 

でもなんというか

もともとビビりだから

たばこ吸ってみる、とか

盗んだバイクで走り出す、とかはできなかったけど。笑

 

 

↑そしてこれちょっとはじめての彼氏にもやっていた。うざい。笑

 

 

でも

実際自分が子供を育ててみると



『愛している』は『愛している』であるんだけど

 

 

いうこと聞かなかったらいらいらするし、笑

子どもたちが大騒ぎだったら「ごら~~~~~!!!」って怒るし、笑

忙しい時間に子供がだらだらしてたら「おい!!!」ってなるし、笑

 



ああ

どんな私でも愛してほしい、って

親には思っていたけど


 

私自身が、『親』としては


そういうこと全然できてないなあ


って思いました。笑


 

 

子どもたちについて

すぐイライラするし

すぐ注意するし

すぐがみがみいう。


 

それって相手を『信頼』していないんじゃないかな。



子どもたちを本当に信じていたら、もっとどんと構えていられるんじゃないか。



いつもおだやかにいれるんじゃないか。



いつも笑顔でいれるんじゃないか。 



大丈夫大丈夫、って思えるんじゃないか。

 


 

そして昔は結構真剣にそれについて悩んでいたりしていたんですが。

 

 

それって結局




相手の『生命力』や『存在意義』ってものを



表面だけで判断していたな~~~と思うのです。

 

 


○○だったら大丈夫

■■以下ならダメ

幸せの形とはこういうもの

 


そうやって判断していたときは

 

 

子どもたちがその

私が設定した○○の基準や形の当てはまらないと



生きていけないんじゃないか

社会の荒波に飲まれてくじけるんじゃないか

幸せになれないんじゃないか

 

 

そうやって心配して



『私基準の心配』

『私基準の幸せ』ってもので



子どもたちの人生を勝手に判断して

 


 

たとえば


『収入が安定している仕事に就く』とか

『結婚』とか




その『形』『幸せ』を与えることが


親の仕事だとどこかで思っていた。

 


(とくに昭和の子育てで育ってくるとそういうのを勝手にダウンロードしてたりする、笑)

 

 

でも



『子どもたち』の

『生命力』『存在』そのものを信じるってことは


 

『条件』を満たす満たさないを超えて



『どんなでも大丈夫』って思うことじゃないか、と気づき始めて。

 

 

そして



『子どもたち』ってまだ『未熟』だから

『条件つき存在意義』とか

『条件付き成功』

『条件付き愛情』

 

を目指していると



まだ『条件』を満たしていない子供たちの


『存在意義』そのものが『未熟』

 

(だってまだどんな仕事につくか、とか結婚するか、とかわかんないし、笑)

 

だと、結局心から『信頼』できない。

 

 

定義として



子供=いつも『発展途上』。

 


でね、



『子どもを信じる』って



『どんなでもこの子は大丈夫』って

心の底から親が思うことだと思うのですが

 


ここにちょっと言葉を足す必要があると思っていて



『どんなでもこの子は大丈夫』の裏に

親自身のどんな気持ちがあるか



ってことがとても重要だなあと思うのです。

 


続きます♡