こちらの続きです♡

なんだかずっと

『感情』と『自分』が一体化していたときは


『感情』そのものが『自分』で
『感情』とは『事実』で



そして『引き寄せの法則』的な意味で

『いい気分でいないと悪いこと引き寄せちゃう!!』みたいに思っていたものだから


『ネガティブな感情』って本当にまっすぐみれなかった。

 
『ネガティブな感情』って
『悪いもの』だと思っていて
『感情』=『自分』だったときは


『ネガティブな感情を抱く自分』=ダメな自分

 
と勝手に翻訳していたものだから


 
あ~~~またこんな『悪い』こと感じちゃった!!!
なんで私ってこうなんだろう~~!!!
こんな汚い私、見たくない!!!
消去消去!!!
あ~~~~~!!!!!


って脳内で自分の耳をふさいでいた。笑
 


だから、
最初ノートを書き始めた時は

とにかく上っ面の『きれいな感情』の部分しか書かなかったし


『ネガティブ』な言葉を書いても

まるで道徳の授業のように、さら~~~っときれいな結末に持っていこうとしていた。笑


 
なんだかノート書いていても現実が変わらない、、、とか
ノート書いていても???ってなっていたのは
 

自分の『感情』『感じたこと』
瞬時に『いいもの』『悪いもの』に分けて

『悪いもの』は脳内で瞬殺して

『いいもの』しか表現していなかったから

『取り繕った世界』をノートに展開していたからだった。


散った桜だって、こんなに美しいのに♡♡


 
さきこさんのノートブックセミナーに出席して
はじめて


あ、私全然
『感じた』ことを、
ちゃんと感じたまんま
ノートに表現していなかった、、、、!!!


と気づいて
 
『ネガティブ』にゲロゲロオエオエしながら向き合っているうちに

『ネガティブ』も本当に『ポジティブ』と対等に

あるいは『ポジティブ』よりもずっとパワフルに


自分を知るための材料になる
お宝だと体に染み込んでいって

 
だんだんゲロゲロしながらも
まっすぐに『ネガティブ』をノートで受け止めれるようになってきたときに


どんどんどんどん
『感情』と『自分』の視点が離れてくるようになって

『感情』はしっかり感じながらも
どこかでその『感情』を淡々と眺める視線をより濃く感じれるようになって

 
あるとき

本当に


『感情』は


自分の生命活動のなかで


自分の『魂』から
ぽろぽろこぼれていく
音楽のようだ


と感じた瞬間がありました。


 
ちょうど吉本ばななさんの
『吹上忌憚』シリーズを読んでいたころで


 
このシリーズに出てくる

言葉が音で発生しなくて
文字で身体からぽろぽろこぼれてくる美鈴ちゃんという女の子がいて

ちょうどそんな感じだな、と思った。


 


だから
呪術廻戦の真人の言葉


『感情は魂の代謝物だ』



にぞくぞくしました。笑

 
(吉本ばななさんのご著書も、いつもどこか呪術的なものを感じる、、、笑)



それをなんだか肌でしっかり感じた事と

『我を張る』ということが繋がったとき



本当に『感情』と『自分』は別物で
ただ淡々と『感情』をみていく大切さを
改めて腹の底から感じたのです。


続きます♡