近たくさんの

『設定変更』や『女性性開花』のお話を聴く機会があり、めちゃくちゃ幸せですラブラブラブ

 

 

昨夜もさきこさんのクラブハウスのお話を聞きながら

そのままうとうと眠りにつきました。

 

 

幸せ、、、ラブラブラブ

 

(本当に本当に、セミナー級の内容!!!絶対絶対たくさんの女性に聞いていただきたいです!!ラブラブラブ

 

最近『聴く』ことについて言葉になったことがたくさんあって

 

さきこさんや

小田切まあいさんも継続講座やセミナーでよくお話ししてくださるのが

 

『頭で聴かなくていい』ということ。

 

これって本当に本当に大事だな、と感じていて。

 

よくさきこさんが

 

『鵜呑みにする大切さ』

 

というのをお話ししてくださいますが

 

 

 

『鵜呑みにする』っていうことは

その相手がやっている行動そのものをやってみる、たどってみる、ってこともすごく大事なのですが

 

まず

 

『頭をからっぽにして聴く』っていうことが

 

何よりのスタートだと思うのです。

 

 

『頭を空っぽにして聴く』ってことは

『我をはらない』ってこと。

 

まず相手の話(特に尊敬する人の話)を聞くときに

本当に『思考』って邪魔だなあ、と思っていて。笑

 

『身体で聴く』

『心を開いて聴く』ってことは

 

我を張りたい自分の『頭』を

黙らせないとできないのです。

 

そして

『身体で聴く』

『こころを開いて聴く』ってことは

 

↓ここで聴くってこと。

 

先日バロンリーディングの終了後セッションで、

小田切まあいさんがシェアしてくださった感想が

すごくすごく胸に響いたのですが

 

 

 

相手が『源』とつながってしゃべっているとき

『本質』の話をするとき

『滞りなくまっすぐ放っている』とき

 

『言語すら超える感覚がある』ということ。

 

これ、

本当にめちゃくちゃわかるな~~~!!!!と思いました。

 

さきこさんも認定講師講座で

『死生観』や『宇宙の真理』などのお話をしてくださるとき

 

『理解しようとしなくていいから、

なんとなく聴いておいてください』

 

ってよく前置きしてくださったのですが

 

言葉にならない世界のものを言葉で表現すると

無限のものを有限に置き換えると

本当に表現が難しいしそもそも不可能だ

 

でも

そのうえで

 

私たちはこの地球上で『肉体』を使って

『言語』を使って

『有限』というゲームの中で生きているから

 

そのゲームをしている間は

そのゲームの前提の中で『経験』『体験』をする。

 

『感じている』言葉にならない感覚を

ほかの『個』と共有するために『言葉』がある。

 

ただ、最近すごく思うのが

 

『言葉で理解しようとしなくてもいい』ってこと。

 

つまりは 

 

『頭で理解しようとしなくてもいい』ということ。

 

私は昔から

人と会話するとき

その人の『会話の奥』『言葉の奥』にあるものを読み取ろうとする『素材』『性質』があって

私の『コミュニケーション』って本当にそちら(非言語領域)が主体だったので

 

わりと『表面の言葉』はどうでもよかったんだな~~~ということに最近気が付きました。笑

 

小さいころからいつの間にか

相手の『言葉の奥』にある

『バイブレーション』『エネルギー』みたいなのを読み取る訓練を勝手にしていました。

 

それは

小さいころから

周りの大人が

『言っていること』と『やっていること』が違うっていうことに違和感を覚えて

 

そして

『本当のこと』は

『言っていること』じゃなくて『やっていること』なんだ

 

ということがわかったから。

 

そして

小さいころ

 

『やっていること』って思っていたことは

 

その人の『行動』『表現』ではなくて

 

『その人の奥深くから放つものだ』

 

ということにも最近気が付きました。

 

そして私は

 

『表面の言葉のきれいさ』とか

『字面の良さ』

『響きのよさ』

『内容の(表面的な)美しさ』

 

は本当にわりかしどうでもよくて

 

(これは言葉遣いのきれいさ、とかではないです。念のため。笑)

 

『その奥に何があるのか』

 

『その『言葉』を使うことで、

本当は、相手は私に(つまりは世界に)何を表現したいのか』

 

そっちのほうが重要で大切だったのです。

 

そして

いくら表面が

 

『一見美しくみえるもの』

『一見正しくみえるもの』

 

を表現していたとしても

 

奥から放っているものと一致していないと

 

その『不一致』が『違和感』として伝わってきて

 

めちゃくちゃ気持ち悪い。

 

そして

 

『世界』に伝わってくるのは

 

圧倒的に

 

『言葉の意味』ではなく

『奥から放たれるもの』。

 

『言葉(表現)』と『中身(放つもの)』が一致していない人としゃべっていると、

 

そんな上っ面の話はいいから、

本当の話をしようよ、って思う。

 

(↑こんなんだからいじめられたんだろうな、、。笑い泣き笑い泣き笑い泣き

そして一部の先生にもとても嫌われたんだなと思います、、、とほほ。笑笑い泣き笑い泣き

 

そして

他人に見えるものは

もちろん自分の中にも見えるから

自分の中の不一致って

どんなに無視しようとしてもやっぱり気持ち悪くて仕方なくなる。

 

めちゃくちゃ自分の中での

『つじつまの合わなさ』にげろげろする。

 

こんな自分は

『不器用』で『つまらなくて』

『うっとうしくて』『重い』と思っていた。

 

でも、今はこんな『過敏』な私でよかったな、って思います。

 

おかげさまで自分の『本当の望み』とは、大きくかけ離れずにこれたから、笑。

 

でですね、

 

『言葉が重要じゃない』とかそんな話では一切なく

 

ただ

 

『言葉(の表面)にとらわれすぎると本末転倒』で

 

本当に重要な部分を取りこぼすと思うのです。

 

そして

 

みんな『表面』でつじつま合わせようとするけれど

 

『表面』さえ整っていれば大丈夫って思っている人もいると思うけど

 

やっぱり絶対的に大事なのは

 

『内面』と『外側(表現)』のつじつま合わせであって

 

『外側同士』のコミニュケーションや、

『外側だけで』表現を取り繕っても、

 

本当に何にもならないしエネルギーと時間の無駄なのです。

 

続きます♡