こちらの続きです♡
『空気を読んでいた』のは『私』で
『空気は自分のために読みたかった』わけで
それはなぜかというと
『周りと調和したかったから』だし
『波風たてたくなかったから』だし
『嫌われたくなかったから』だったんです。
でもですね
この
『波風たてたくない』
『周りと調和していたい』
『嫌われたくない』
にやっぱりすごく疑問を持つことがあったのです。
私昔いじめられっ子で
まあそれはいろいろ『出る杭』があったのですが、笑
(そして素材との調和と折り合いがうまくとれていなかった)
いじめられた体験が恐怖だったのと
『私』を出すといじめられる
に自分の中で変換されていたので
『自分』を殺して
『周りの空気読んで』
『みんなに合わせる』
こうすれば嫌われない!!と思って
学生時代(中学、高校)はひたすら
↑この能力を磨いていた、というか
それに全力を注いでいました。
でもなんか
『自分』を殺して
『周りの空気読んで』
『みんなに合わせて』いるのに
心が通い合える
仲いい友達、ってのがなかなかできなかった。
なんでだろう、、、
こんなに私みんなに合わせているのに、、、、、
本当に『人間関係』が恐怖でしかなかったし
『どうやったら心許せる友人ができるんだろう』って思っていた。
↑今から思うと当たり前!!!
だって『自分』を殺して
『自分』を出さないようにしていたのに
『本当の私を理解してほしい』とか
意味不明。







言葉にしたら(ノートに書いたら)
イヤイヤ当たり前じゃん!!!ってことがわからなくて
『人と合わせることが唯一の嫌われない方法』と
勘違いしながら生き続けて
本当に去年くらいまで
『人に嫌われたくない』
という根深い恐怖にさいなまれていたのです。
でも。
『皆に嫌われたくない』
『誰一人として嫌われたくない』
↑これって本当に『不可能』で
かつ『みんな』って誰なんだろう、と思った時。
そして
去年↓こんな感じのことがあって
内容は、まあ割と身近な人に
『は???!!』ってことを言われたのですが、
『誰にも嫌われたくなかった』私が
設定変更を学ぶにつれて
誰よりも何よりも
まず「自分のこと」をちゃんとやることが大事で
自分の感じたことを大事にして生きていこうって思っていたけど
たとえ『周りに合わせて』
生きていっているつもりでも
一定数の人には必ずなにか言われるし
『自分を大事に』生きていても
やっぱり何か言われる。笑
そして
『わざわざこちらにわかるように何か言ってくる人』って
圧倒的に
『自分の領域内のやるべきことをやっていないくせに』
『人の領域に口出ししてくる人が多い』
さらには
私がどう生きるかは
『私の責任のもとで』
『100%私の自由』だし
他の人たちがどう生きるかも
『100%その人の責任だし』
『私の領域外』なんです。
どっちも自由。
どっちもただの好み。
(そしてどちらも対等な喜び♡)
ならば。
私はこの
『自分のことやっていないくせに』(場外にいるくせに)
『人の領域に踏み込んでくる』(やじ飛ばしてくる)人たちに
本当に『気を使って』生きていきたいのか??
私の人生の時間をかけて?
自分を殺してまで??
何かに『合わせる』って
そこに『調和していきたい』ということで
私は『場内に入ってこないくせに文句ばっかり言う人たち』と調和したいのか??
答えは
圧倒的にNOでした。
散々自分を殺して
周りをキョロキョロして
エネルギー使い果たすのにぐったりしていたし
自分で自分を殺してきたくせに
ストレス溜まって文句言って
そして自由に生きているように見える人たちに
心の中で毒づいて嫉妬して
そしてまた自己卑下して
一体なんなんだ私は、とも思ったわけです。笑
(ただのメーワク

)



さらには
もう自分を殺すなんてたくさん。
自分に嘘ついて
自分も人も誤魔化して
そんな滞りいっぱいの生き方が気持ち悪くてしょうがなかった。
おんなじエネルギーを使うなら。
そしてどうせ誰かに嫌われるなら。笑
私は100%私だけで生きていきたい。
その結果は私が引き受ける。
もう自分の幸せも
不機嫌もイライラも
誰のせいにもしない。
ちゃんと自分で出しているものをみて
自分で引き受ける。
そして
同じように
自分の土俵で生きている人たちと
調和して生きていきたい。
『自分のことだけやる』
『自分の人生自分で引き受ける』
これをようやく腹の底から決めて
そちらにエネルギーを注ぐようになった時
『感じる』の使い方がどんどん変わってきました。
続きます♡