こちらの続きです♡
私が『感じていた』と思っていたことは
全部『思考』だった。
そしてその『思考』は
自分の『ダサい部分』、『見たくない部分』を
巧妙に隠しながら
いいように『感情』を
『感情』に『載せている意味』を書き換え
『う~~~んなんだかわからない』ってしていたんです。







なので
『思考』と『自分』が一体化しているときは
ノートの見た目は『きれい』にまとまり
(言葉はきれい、書いていることも一見一貫性がある)
そしてノートはグルグルグルグルグルし続けていた。
これは
見たくない部分を見ていなかったから。
『思考』だけでノートしていたから。
そして『体感』を無視していたからでした。
設定変更の
①明らめる
②感じる
③決める
この①も②も
全然出来ていないくせに
『ザクザク稼ぐって決めました!!』とか
やっていたもんだから
そりゃあ現実変わるわけない







(現実変わるためにやってるあたりがもう色々今から考えるとなんだかなんですが





今はそれもまた今の学びに繋がっているのでやっぱり最善でした

)



そこから約2年
(設定変更に出会って3年)
ノートを書き続けながら
身体や心の学びを続けるうちに
自分の中で
魂の自分
肉体
脳
について
言葉になってきた事がありました。
魂の私=『操縦士』
肉体=『飛行機』
脳みそ=『自動操縦装置』
自分は『エヴァそのもの』じゃなくて
『エヴァの操縦士』だった、、、、!!
それを思い出してから
『ヨガ』
そして『瞑想』中の
自分を俯瞰する視点
(ノートを書いているときもしばしばその感覚が訪れます)
それをもっと色濃く意識するようになり
(意識的に意識する、というよりより『俯瞰の視点』に自然と気づくことが多くなった感じ)
この
『ノートのぐるぐる』『うわっすべり感』は
完全に『思考』でやっていた。
『思考』=『私』と同化していた、、、!!!
と気づき
『思考』を眺める『視点』がよりクリアになってきたとき。
『思考』と一体化していた時の自分は
自分自身は『肉体』と同化していたというより
『思考』と同化していたんだなあ、と
改めて思い
じゃあ『思考』と同化しているってどういう状態だったんだろう、と改めて考えた時
そうか
『思考』=『自分』と思っていた時は
『自分』が『飛行機(乗り物)=肉体』を運転している感覚を忘れていて
もともと『肉体』に搭載されている
『自動運転装置=脳みそ、思考』に
人生の『運転』を任せていた状態だったんだ、、、、、!!!
と最近はっっっ!!!!と思い当たりました。
つまりは『エヴァ』自体と同化していたんじゃなくて
自分が『操作』している感覚がなかったから
『エヴァ』の中にあった
『基本初期設定』に運転してもらっていて
自分はただぼ~~~~っと操縦席に座って
なんだか勝手に世界が進んでいるような感覚でいたんだなあと思いました。
そして
『思考』は『設定』から出てくるもので
それこそ自分の『初期設定』を知らないまま
『なんか生きづらいんだよね~~~』
『なんでこんなに人生しんどいのかなあ』
ってやっていた。
…怖っ…!!!!!











そりゃ
『自動運転装置』のプログラミングを
『女とは損な生き物』とか
『お金とは苦労して稼ぐもの』とか
『子育ては大変』とか
『結婚とは忍耐』とか
にしていて
『希望の人生(目的地)』に着きません!!!とか
あったりまえ。







そして
もう一つ勘違いしていたのが
今まで
『操縦は力づく』(人生は力技で変えるもの)と思っていて
『いかに有能なパイロットになるか』(『個』の自分を磨くか)ということに心血を注いできたのですが
それはちょっと的外れな努力だったのだなあ、、、、と最近気づきました。
続きます♡