こちらの続きです♡
私はヨガ指導を始めてからずっと
『私なんかが『ヨガインストラクター』って名乗っていいのだろうか。』
『私なんかが『ヨガの指導』を行ってもいいのだろうか。』
という思いを抱えてきていました。
私は、もちろん
『全米ヨガアライアンス200時間』というヨガ指導資格は持っているけれど
ヨガの世界って『指導資格がある』ことが『立派なヨガインストラクター』とは直結しない。
(もちろんどの世界にも言えることですが、、、)
私の中で、
『立派なヨガインストラクター』とは
『カッコいいポーズができて』
『ヨガの専門知識に長けていて』
『誰もが認める資格や知名度があって』
『人生のすべてをヨガに捧げているような人』
だったので、笑
私はそのどれもをほとんど満たしていない状態でした。
はじめは本当に手探りで
どうやったや来てくれた生徒さんが満足してくれるか
来てくれた全員が満足してくれるか
たくさん工夫して考えて
そして、来てくれた人が
『楽しかった!』
『気持ちよかった!』
と言って帰ってくれることがとてもうれしくて
ただがむしゃらに自分のできることを頑張っていました。
でも、
やっぱり自分の中の
『素晴らしいヨガインストラクター』像が
そんなんじゃまだまだだ。
こんなんじゃ『ヨガインストラクター』と名乗ってはいけない。
とずっとずっと自分をジャッジしてくる。
そのはざまで
『もっと自分に自信がつけば安心してヨガを教えられる』
『もっと実績ができれば気持ちよくヨガを教えられる』
と
できる限りですが、学びを続けていました。
そうし続けていると
どうなったかというと。
どんどんどんどんヨガの時間が苦しい時間になっていきました。
あんなに気持ちよかった時間が、自分を苦しめる時間になっていった。
それは
『外側を埋める学び』であって
『今の自分』を見ていなかったから。
否定していたから。
そして、
『素晴らしいインストラクター』を基準に『優劣』をつけて
『外側』でしかヨガを見れていなかったから。
どんなにヨガ歴が短くかろうが
確かにその時々にずっとあった
『ヨガの気持ちよさ』
『ヨガの効果』
『ヨガの叡智』
それをすっかりなかったことにして
『もっと素晴らしい自分』を追い求めて苦しくなっていた。
同時に
私は
確かにあった
私のクラスに来てくださる人たちの
『気持ちよかった!』『楽しかった!』
さえも
『私じゃ不十分だ』という気持ちをもとに
なかったことにしていた。
たくさんたくさん取りこぼしていました。
そして
『私じゃ不十分だ』と思い続けた根底には
『私は私として存在していたい』
『唯一無二の存在だと認められたい』
があった。
自分の『存在意義』がわからなくて
ずっとずっと不安で不安で
『立派な肩書』があれば認められる、とか
『私しかできないことがあれば認められる』『必要とされる』
という思いがあって
私の『ヨガ』では
『唯一無二』になれない
そんな風にめちゃくちゃこじらせていたのです。
大好きを、とってもとってもこじらせて
ただ『大好き』でよかったのに
まっすぐに『大好き』が放てなかった。
『大好き』というのにも『資格』が必要だと思っていた。
ある程度
外から認められる『実績』がないと
『大好き』とすら堂々と言ってはいけないと思っていた。
そんな中
ちょうど3年前、
設定変更と出会って
ヨガの教えをまっすぐ理解できるようになったり
いろいろ芋づる式にこじらせていたものを全部取り払った時に
ちゃんと『大好き』が自分の中にあることに気づいた。
私は
色々なものをとっぱらっても
ヨガで何者にもなれなくても
やっぱりヨガが大好き
だと再確認しました。
しかしながら。
『ヨガを伝える』ことは?
ヨガが大好きなことと『伝える』ことって
必ずしも一致しない
好きだから『伝えなきゃ』
でもない。
私の存在意義を『ヨガを伝えること』にくっつけていただけで
私はヨガが好きと『ヨガを伝えたい』を混同していたんじゃないか?
『私の存在意義』と
『私がやること』
『私の肩書き』
『私の資格』
その間には実は何にも関連性がないという事実が腑に落ちたとき
改めて
『私』は『ヨガ』を『伝えたい』のか?
をじっくり感じてみて。
私が『ヨガクラスを通じてやりたいこと』が
フッと立ち上がるきたのでした。
続きます♡