最近また少し繋がったことがありました。
私はヨガが大好きでここ10年あまり学んできているのですが
私が大好きなアシュタンガヨガには
八枝則、というものがあります。
(アシュト=サンスクリット語で8、
アンガ=サンスクリット語で枝♡)
その中に
ヤマ(簡単に言うと、やってはいけないこと)
ニヤマ(これもざっくりいうと、促進すべきこと的な、笑)
というものがあり
そのニヤマの中に
『盗むな』
『嘘をつくな』
ということがあります。
私ヨガをはじめて数年は
ずーっとそれらを
表面の言葉通り受け取っていたのですが
(そして、そりゃそーだ、くらいにしか思っていなかった

私よ

)






学びを深めるうちに
『盗むな』は
人の物質的なものだけではなく
人の考えやアイディアを盗むな
『嘘をつくな』は
人に対してだけではなく
自分に対しても嘘をつくな
言葉だけ、口だけじゃなく
『思考』『思い』『行動』でも全て。
と教えていただきました。
何度も聞いていたけど、
設定変更を学び始めて半年くらいしたとき、
改めてその言葉の重さが
自分のなかにドスン!!と落ちてきて
『思考』『思い』『行動』もすべて、
って、本当に全て、か!!!
そんな無茶な…!!!!
と思ったと同時に
『ギクっ』とした自分がいました。
↓にも書いたのですが
私はその時まで
小さい頃からずーっとずーっと
怒られるのが嫌で
自分自身が嫌いで
『ありのままの自分』なんて認められなくて
自分自身を誤魔化していました。
心の中で
そして実際にも
めちゃくちゃ言い訳していたんです。
タイミングが悪かった
今は時期じゃなかった
私だって本気出せばやれる
あの人は準備をちゃんとやらずに無鉄砲だ
そして
沢山の人に
事象に
力に
助けてもらっていたのに
守ってもらっていたのに
自分の身一つで勝負していないくせに
正々堂々『私』でいなかったくせに
私はこんなもんじゃない
こんな私認めない
もっと努力しなくちゃ
もっと頑張らなくちゃ
って思っていました。
でも
どこかで気づいていたんです。
文句いうなら同じようにやればいい。
正々堂々『自分』で勝負してみればいい。
なぜそれをやらないくせに
頭の中で
影で
言い訳ばかり
人に文句ばっかり言っているのか?
自分は出来ないと思っている
出来ないのは恥ずかしい
カッコ悪い
そんな自分を人に見られたくない
だから
堂々とやれない
自信を持ってやれない
念入りに準備をして
カッコつくようにしないと
『失敗』しない事が確定しないと
怖くてできない
この
『奥に在る本当の気持ち=怖さ、不安』
をちゃんと見ずに
私のやりたい事をやっている人を心の中で揶揄するとか
本当の私はこんなものじゃないとか
じゃあ
『本当の私』って何?
と思った時
今まで散々
『これはまだ本気じゃない』
『こんな私は嫌だ』
『こんな私は辞めたい』
そればかりに気を取られて
言葉で取り繕ってばかりで
私一度でも
まっすぐ『ありのまま』の自分って
見たことがあったっけ?
と思ったのです。
そして
言葉で
言い訳で
『現在地』を取り繕い過ぎて
誤魔化しすぎて
何が本当なのかも
自分でさえ分からなくなっていて
そんな自分にクラクラしました。
自分で自分に
『嘘』をつき続けた代償は
あまりにも大きかった。
『自分自身』のことさえ自分で認識できない。
本当の自分がなんなのか、さっぱりわからない。
ごまかしも何もない自分が、何なのかよくわからない。
そして
自分が付いた『嘘』『ごまかし』を繕うために
どんどんそこに『ごまかし』を上塗りしていく日々。
本当に
それにエネルギーと神経をすり減らし、
うまくごまかせたと思ったら、ほっと一息つく。
でも、一歩外に出たら
また『ごまかし』と「取り繕い』の日々が待っている。
この毎日に、
本当にいい加減嫌になっていたのに、
どうやって辞めたらいいかわかりませんでした。
何より自分の『思い』『言葉』を
私自身が信じてあげることができない。
私はこれから一生
こんな生き方したいのか?
その時、
もう38年くらい
物心ついてきてから
ずーっと自分の心を守るためについてきた
『嘘』『ごまかし』
一切辞めよう、、、、!!!!
と、
決めたのでした。
続きます♡