こちらの続きです♡
とりあえず
なんか色々めんどくさくなって
必要時以外はひたすら黙って観察に励んできました。笑

『私の感じていることは、整合性はあるのか』
『何か客観的に証明できる方法はあるのか』
『私のカンは正しいのか』笑

医療現場で感じた疑問
人に対して感じたこと
事象に対して感じたこと

それに対して
ひたすら観察を続け7年ほど経った今。

結論から言うと

『私の感じていたこと、概ね当たってたわ!!』笑

と感じています。笑

医療現場で感じた疑問に対しては
ちゃんと実際に『観察研究』をして
私の予想と大きく外れない結果になり

事象に対しても
『だいたい最初に感じていた印象』通りの現実が見えている。

ほら〜〜!!やっぱり!!
と言いたい気持ちがないわけじゃないけど、笑

そんなちっぽけな気持ちより

自分の中に
『よし、やっぱりこれでいい』という
どっしり、ひとまわり大きな土台
確かな自信が出来たことは自分の中で大きな成果でした。

ただ、
何年もこういうことをしてきて、

結果的に
私は半分趣味みたいに検証を続けてきたけど、
私は『職業的』にこの手順が必要だっただけであって
自分の考えの『正しさ』を、沢山の人に『見せる』必要はない。

むしろ
『正しさ』なんて邪魔だと思う。
上から少しずつ赤くなる葉っぱが可愛い♡


はじめ、
私が観察、検証をはじめたきっかけは
本当に恥ずかしながら
『私の正しさ』を証明するためだったんです。

私が何年もかけて
ヨガして設定変更もたくさん学んで

最近よく思うのは、
『なんだ、結局、自分のままで良かったんだ』
ということ。

私は本当に勘違いしていたんです。

素晴らしい人になるには
出来る人になるには
皆に認められるためには

世間の『正しさ』に合わせて
『絶対的』な『正しさ』を手に入れて
誰にも文句言われない自分でなければならない

『正しい』意見があって
『正しい』在り方があって
『正しい』感じ方がある

その『正しさ』を手に入れれば
誰もが納得する結果を
突きつけられる。

誰にも文句言われなくなる。

そうならないと
『自分の感じたこと』を
誰かに大きな声で言ってはならない。

そして
一番大きな勘違いは
『たった一つ』の『正しい』『正解』
が存在すると思っていたこと。

みんな違ってみんないい、とか
人それぞれ意見がある、とか

表面では納得していても
本当の本当の奥には
『私の方が正しい。あいつは間違っている。』
があった。

だから
声を大にして自分の意見が言えなかった。

大きな声で言ったことが
『間違い』だったら恥ずかしいから。

でも
観察、検証を重ねるにつれ
『自分の感じたこと』が『自分の中で確かなもの』と感じられるようになると
人にどう思われようが
陰で揶揄されたとしても
割とどうでも良くて
『私の中の確かさ』があれば
それだけで充分、と思うようになりました。

むしろ
人の賛同はオマケで
何より『私が私を信頼できる』という芯があればそれでいい。

(仕事的にはそれを客観的に見せる必要があるのでそれはきちんと手順を踏みますが)

そして
『私が私を信頼できる』ようになると
本気で心から、他の誰かに何を思われてもいい
と思うと同時に
相手には相手の感じ方がある
相手がどう感じるかは相手の領域

が心の底から理解できるようになりました。

本当にはじめて、
相手の領域に踏み込まない、という姿勢が取れるようになった気がします。

と同時に。
『私が私を信頼する』ために必要なのは
『常に自分を疑い続けること』だとも気づきました。

もう少しだけ続きます♡