こちらの続きです♡
はー
私のこの様々な『敏感さ』って
いわゆる『生まれつき』で『特性』で『素材』なんだなぁ。

これを知ってから
人生の今までのありとあらゆることが
『納得』!!だったので
本当に知って良かった、と思いました。

一方で、
最近『HSP』という言葉の認知度が上がってきていることで
沢山の方が
テレビやブログで表現されていて
『HSP』を目にすることが増えました。

(私がその言葉を『知った』から、余計目に入るようになったということもあるだろうけど)

でも、時々
ん?
という違和感を感じることがある。

私は小児科医であって
『HSP』専門医でも、精神科医でもない

『HSP』についての専門知識はまだまだ乏しいし
沢山の『HSP』さんにお会いして
『経験』を重ねてきているわけではないので
全てを知った上での
専門医としての話ではないですが。

『敏感さ』=『生きづらさ』
『敏感さ』=『大変』

↑確かに私自身もそう感じてきたのだけれど

『敏感さ』=『弱さ』『足枷』

と感じざるを得ない表現を目にすることがある。

んん?

『敏感さ』って『弱さ』なのだろうか?
『生きる』のが『大変』=『弱い』のか?
『敏感さ』って、生きる『足枷』なのか?



私自身
たしかにしんどい思いはそれなりにしてきたし
『敏感さ』がないと楽だろうな〜と感じたことがないといえば嘘になる。

でも
私はこの『敏感さ』に様々助けられてきたのも事実。

そして今、
この『敏感さ』は『素材』と認識して
『私』の『特性』だと知ったことで

今まで
『考え過ぎ』『気にし過ぎ』と
自分が確かに感じていた気持ちを
設定変更を通して
否定するのを辞めようと決めていたけれど

確信を持って
『私が感じていること』を肯定していっていい、と後押ししてもらった。

(後押しが必要なところがなんともヘナチョコですが笑い泣き笑い泣き

さらには
これはちゃんと
『能力』だと、認識した。

そして、すでに私はこれを
『得意技』として
日常生活で活かしている。

どんなに表面の言葉が素晴らしくても
言葉と体現が違う人と喋っていると違和感を感じる。
(だから大きく色々外れない。今まで失敗したのは、明らかに言葉の表面に私の目が眩んだ時笑い泣き笑い泣き

職場でも
この『違和感』に何度も助けられた。

相手が本当に言いたいことを掴むのが早いし
相手にどういうと伝わりやすいかまで考えて言葉を選べる。

自分の体調の変化にいち早く気づき
さっさと無理を辞める。
(これは散々無茶して失敗して早く諦めた方が早いと悟ったからだけど、笑)

本質を見抜く目がある。
(これにはめちゃくちゃ自信がある、笑)

そして
この『敏感さ』を持っていたからこそ
私は今の家族に出会えたし
ヨガや設定変更に出会えたし
本当の『仲間たち』にちゃんと出会えた。

まだまだ精度を磨く必要はあるけど
この辺りを、もっと自信を持って磨いていけばいいんだと改めて気づいた。

こういうのも
『敏感さ』の産物だし
これはちゃんとした能力だと思う。

『弱い』のではなく
『弱い』部分を無理矢理ポジティブシンキングでなんとか『強み』にするのではなく
ただの、一つの『特性』で『力』。

『敏感さ』にかかわらず
全ての『素材』ってこういうことだよね。

『素材』だけでなく
全ての物事は沢山の側面がある。

『敏感さ』の側面の一つが『生きづらさ』なだけであって
『洞察力』や『感受性の強さ』『体感力』だって同じ『敏感さ』の側面。

少なくとも
今の私にとって
『敏感さ』は『弱さ』ではないし
『ダメ』なことでは全然ない。

これ、
ちゃんと生かせるし
ちゃんと『強み』の側面があるのに
なんで『弱さ』として表現されることがあるんだろう。
(強いか、弱いかの上っ面の話ではなく。)

そういえば私は
いつからこの『生きづらさ』を『問題』にしなくなったんだろう。

そうして至った結論。

こういった素材を『素材』として『使う』ために
大事なポイントは2つ。

一つ目は絶対的に
『被害者を辞める』。

そして
『自分のフィルターを掃除する』。

だな、と感じました。

もう少し続きます♡