さきこさんのこちらの記事♡
素晴らしいなぁ〜〜と感動しながら拝読しました。

この記事の中でリブログされている記事もとても感動したのですが

さきこさんの記事にいつも感動するのは

とても丁寧に丁寧に
そして何にもくっつけずにニュートラルに
身体と心を観察されているから。

私が何年も何年もヨガしていて
なんとなくこんな感じ?と思っていたことを
さらっとスパッと
本質を掴んでいかれるから。

やっぱりヨガとノートって同じだなぁと思う。

ツールはなんでも、
本質に沿えば真理にたどり着く♡

どれだけ自分を丁寧にみていくかが
本当に世界に繋がっている。

自分を深く知れば、世界に繋がる♡
幸せすぎる沼♡

そして本題、笑。

さきこさんが書かれていた
『ちゃんと死ぬこと』
=『ちゃんと休むこと』。

これ、
私も含めて
ヨガのクラスをやっていても、
本当〜〜〜〜に苦手な方が多いと感じます。

みんな
頭がうるさ過ぎる、笑。

みんな
余白に耐えられなさ過ぎる。

身体を休め始めると
途端に頭が騒ぎ出す。

ねえねえ
そんな休んで意味あるの?
この時間無駄じゃない?
さっさと起きて他のことしようよ!!
時間を有効活用しようよ!!
どんどん次に進もうよ!!
どんどん前に進もうよ!!

って笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き

だからもう
シャバアサナでも
モゾモゾゴソゴソしたり
ソワソワソワソワしている、笑
(はい、私です笑い泣き笑い泣き笑い泣き

明らかに
肉体と思考のバランスが悪いし
みんな頭に支配されている

その頭が
『効率!!効率!!』
『コスパ!!コスパ!!』
『損得!!損得!!』
『有効活用!!』

って叫び続けている。

自分のやりたいことや、好きなことがわからないっていう方が多いと聞くけど

自分の『好き』『気持ちいい』をちゃんと感じるためには
一度ちゃんと頭を黙らせて
肉体の感覚を思い出すのがものすごく大事だと思う。

ちゃんと肉体を感じていれば
『心地よい』『不快』は
ちゃーーんと肉体が嘘偽りなく教えてくれる。

自分の声じゃない、
頭の中の『誰かの声』を黙らせて
とことん五感を使って
いい悪いを取り除いて
ちゃんとぜーーんぶ感じる。
風を素足で感じる♡

私がアシュタンガヨガが好きな理由のひとつは
肉体をちゃんとめちゃくちゃ使うから
呼吸をしっかり使うから
ちゃんと肉体が感じることを思い出すし
うるさい頭が喋れなくなるくらい肉体が疲れるから、笑
(初めのうちはね、笑)
ちゃんとシャバアサナに気持ちよく入っていけるのです、笑。

まあこれはまんま昔の私なのですが笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き
自分のこと棚に上げて
人のことばっかり言う人は
大抵自分の肉体を
五感をちゃんと使っていない

頭ばっかり使って、
ちゃんと肉体で感じていない

(そしてそれはただ単に運動しているか否か、とか少々の運動能力の高さとは実は関係ない)

この現実を生きるのに
その乗り物である肉体を感じていないから
どこまでが自分なのか
今の自分はどうなのか
全然感じれていない。

そして
ちゃんと自分を感じれていないから
ありのままの自分を見ていないから
そりゃあ自分のこと信じれないと思う

さらに
ダサい自分を見たくないから
ますます肉体感覚を鈍らせて
外側ばかりを取りに行く
(『ダサい』も結局自分がそう決めているだけなのだけど)

頭が悪いわけではない。
頭を、思考を使いこなせず
本当の自分が
『頭を使いこなせていない』から
頭が勝手に暴走してしまう。

本当〜〜に、勿体ない。

せっかく今を生きているのに。
せっかくこの世を堪能しに来ているのに。

ちゃんと感じてあげよう。
頭も、身体も
ちゃんと存在させよう。
ちゃんと使いこなそう♡