こちらの記事の続きです♡
書きながら、
自分の幼さを改めて実感して赤面モゾモゾしている『母』シリーズ?笑笑
よろしければしばしお付き合いください、笑。

上の記事にも書いたように
私はいつの頃からか
両親、とりわけ母に対して怒りを抱くようになりました。

自分が一番正しくて、それを押し付けてくる母。
父親の文句ばっかり言うくせに、結局父親がいないと生きていけない母。
自分の生き甲斐を、子供に依存する母。
(と、私は受け取っていました。)

自分で選ぶ、引き受ける、
という練習を重ねていくうちに、
境界線がうまく引けない私は
境界線という概念がない母に巻き込まれるのが嫌で嫌で
いつしか母と縁を切りたいと願うようになりました。

私は私で生きていくから
お母さんもちゃんと自分の人生と向き合って!!

そんな中で、
今の主人と出会い、
結婚し
(この時も母と一悶着ありましたがまた別の機会に、笑)
長男を授かることが出来ました。

妊娠する前。

実はずーっとずーっと
私は子供を産み育てていく自信がありませんでした。

母のことを嫌えば嫌うほど
心の中で詰れば詰るほど

私も母のようになってしまうかもしれない。

だってなんだかんだいいつつ、私は母の血を引いているのだから。

という恐怖にも似た気持ちを抱えていました。

私の弟は
18歳の時に自死したのですが
その経験も相まって
私も自分の子供が自殺したらどうしよう
私は子供(とりわけ男の子が)うまく育てられないかもしれない
だって子育て失敗例しか知らない…!!

考えれば考えるほど怖さが増す気持ち。
しかし、
もともと子供と接するのが好きだということ
そして、
小児科医だから色々専門知識があるし!!
と謎に自分を奮い立たせつつ。

やっぱり主人の子供を産んでみたい。
その気持ちにたどり着き、授かった子供でした。

そして、
私の恐怖に呼び寄せられるように
授かった第一子は男の子でした笑い泣き笑い泣き笑い泣き

あれから7年…大きくなりました♡


しっかりしなきゃ。
立派な母親にならなければ。
子育てに失敗してはならない。
子供に失敗したら、子供が自殺するかもしれない…!!

その一心で
小児科医の専門知識を総動員し
育児書を読み漁り
いざ、初めての妊娠出産、
そして育児に突入しました。

ちょうど初めての妊娠の3年前からヨガをはじめてのめり込み、
そこから食事法や自然療法など様々学んでもみました。
妊娠1年前からベジタリアン生活にトライしてみて
身体の変化を感じ、妊娠もできた。

これだけたくさん努力したんだから、きっと上手くいく!!

勝手にそう信じ込んでいましたが、
これがまあ、
全く持って思うようにいかなかった笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑笑

まず、
つわりで全く野菜と米を受け付けなくなり
マックのチキンナゲットしか食べれなくなりました笑い泣き笑い泣き笑い泣き

身体は重い
心は不安定

今までコントロール出来ていたものが
全然コントロール出来ない
(コントロール出来ていた、も本当は幻でしたが、笑)

やっと子供が産まれてみると
子供は寝ない
一日中抱っこが下ろせない
子供は泣き続ける
母乳はでない
乳首は切れて激痛
でも、ミルク使うのは負け笑い泣き笑い泣き笑い泣き
寝不足で心身共に疲労が募る日々。

もともと母の手は借りたくなかった上に
(だって頼ると負けだから…笑い泣き笑い泣き笑い泣き
初孫ハイになった母親から
毎日毎日育児のダメ出しの電話がかかってきて
ただでさえ初めての育児で緊張と疲労が溜まっていた私は
何度となく大喧嘩。笑笑

とにかく
私は
目指していた『素晴らしい母親』像から
遠くかけ離れている自分を目の当たりにしたのでした。

結局、
こんなに目指す母親像がハードだったのは
一重に
私が母に対して求めていたハードルが高かったから。
そして、
『母親』という生き物を何処か特別で素晴らしいものと定義していたから。

自分で自分の首を絞めていただけでした。

母性とは
子供を産んだら勝手に湧き出てくるもので
子供を『大事』に、『尊重』出来ない母は、人間として失格と思っていたから。
子供を産んだら、何か急に勝手に一人前になる、くらいにいつのまにか思っていました。

私は私の理想とする母親像に遠く及ばない。
その現実を突きつけられて、私がとった行動。

もっともっと頑張らなきゃ!!
もっともっと努力しなきゃ!!
もっともっと素晴らしい母親を目指さなきゃ!!

完全に克服系に走りました、笑笑。
もう少し、続きます♡