はるかさんのこちらの記事♡
素晴らしくて、とてもとても感動しました。
はるかさんの、とてもまっすぐで透明な、どっしりした表現が大好きです♡

そして、思い出したことがあります。
『お母さん』という役割について。

私は現在三人の子供がいます。

もうすぐ7歳、3歳半、1歳なりたて。

毎日、動物園のようです、笑笑。

ブログでも度々書いてきましたが、
子育てに迷ったり、
イライラしたり、
短気に対応したり、笑笑。

いわゆる『素敵なお母さん』『素晴らしいお母さん』とは程遠い日々、笑笑。

そんな中で、
私が考える、『母になってよかったこと』。

色々ありますが、そのうちの大きな一つは

私は『完璧な母親』にはなれない。

と諦められたこと、笑。

それと同時に
自分の母親に、完璧を求めることを諦められたこと。

これに尽きるなあ、と思っています。
ある日の風景、笑

私の人生の一番の問題、と思っていたこと。笑

それは、母との関係でした。

私の母は、とにかく過干渉。
過干渉、というか、
今から考えてみると、
とにかく子供が他人、という意識がない人でした。
線引きができない。
なぜなら、子供は自分の一部だから。

そして、
その大事な大事な子供(自分の一部)が、
世間でいう『失敗』をするのを極端に恐れていた人でした。
子供が『失敗』するのは耐えられないから、
なんでも手をかける。
全て自分が管理する。
それが愛情なのだと信じて疑わない人でした。

着る洋服も
持つ雑貨も
部屋の内装も
全て母親好み。

自分で選ぶ、という選択肢は基本的になく
気がついたら目の前に全て揃えられていました。

だんだん自我が芽生えてくると
それが全然自分の好みや特徴とあっていない事に気づくようになり
(身長高くて肥満児でもありましたがヒラヒラスカートとかレースとか、色も膨張色ばっかり、笑。明らかに、似合っていない、笑。)
反発もしてみるけど
やっぱり決定権はありませんでした。

私的に人生で一番はじめに衝撃を受けたのは
小学校五年生の時。

初めて好きな男の子ができて、
鍵付きの日記をお小遣いでゲットして
毎日日記を書くようになりました。

今日は〇〇君とおしゃべりできた!とか
目があった気がする!とか、笑笑

本当にたわいもないこと。笑
でも私には、大事な大事な私だけの秘密の日記でした。

しかしある日。
学校から帰るなり、母の手に私の日記。
(ちゃんと鍵かけて引き出しの奥にしまっていました、笑笑)

いきなり言われたのが
「あなた〇〇君が好きなの!?」
びっくり仰天していると
「男の子好きになるなんてダメよ!!」


え〜〜〜〜〜〜!!
人の日記勝手に読んでおいて、
ごめんなさいの一言も無しか!!
しかも、内容にクレームつけんのか!!笑笑

しかも。
なんと母は日記を勝手に父と弟に見せて
父にも
弟にもからかわれ。
(お前〇〇君好きなんやろ〜〜!!って。笑)

思春期に入り始めていた私の心はズタボロでした。
泣いて怒ったけど、
誰も本気でとりあってもらえないどころか
「そんなのまだ早い」
と怒られた。

もちろん、小さな初恋は実ることなく終わりましたが
の気持ちは私だけのもの。
その根底が揺らいだ、小さくて大きな事件でした。

その頃から少しずつ、
母に対する違和感が大きく大きくなってきました。

なんで全部ダメっていうの?
なんで私がやろうとすること全然否定するの?

と心の中で大きな反発を覚えながらも
結局チャレンジ慣れしていなかった私は
失敗は怖いもの、ダメなもの、という
母の設定を丁寧に受け継ぎ、笑。

ずーっとずーっと
結局一歩踏み出せずにいました。

高校生になっても
せっかく自分で選んで入った部活も
受験の妨げになるからと
朝から晩まで文句を言われ
門限を過ぎると門の前で仁王立ち→寝るまで説教、笑
そんな日々に疲れて辞めてしまいました。笑

でも。
それでも。
思い返すと、
結局全部自分で選んでいたのです。

親に反対されても
起きてる時間永遠に小言を聞かされても、笑

本当に本当に好きならば。
本当に本当に大事ならば。

勝手にやればよかったんです。

世の中には実際、
親の反対を押しきって頑張っている人もたくさんいる。
(どっちが、いい悪いではなく)

でも、私はやらなかった。
やらない、を自分で選んでいた。

親に文句を言われるのが嫌だから。
ヒステリックに叫ばれるのが嫌だから。
「誰のおかげでご飯が食べられると思っているのか」と言われるのが嫌だから。

だから、
その場の自分を守りたくて。
そして、
未知=恐怖、と対峙したくなくて、
私が、自分で
親の敷いたレールの上を歩くと決めた。

一番は
怖いことをしたくない、
を自分で叶えていた。

でも、
そんなことはもちろん私の心には去来せず
いつしか全て親のせいにしていました。
親のせいで、私の人生はこんなに窮屈なのだと。

少し続きます♡