最近よく感じること。
それは
何でもかんでも一緒に持っていい♡
持つものを一つに絞らなくていい♡
ぜーんぶ一緒に持っていい♡
これを、自分に許す威力。
これを自分に許すようになってから、
すごくすごく私の世界は豊かになりました。
いつからか
何でもかんでも統一しなければならない
意見は一致させなければならない
一貫性がなくてはいけない
コロコロ感情が変わるのは悪いこと
そう思い込んできました。
多分、
ずっと男性社会で男性的に生きてきた影響かと思うのですが
女心と秋の空
が
だから女はダメなんだよ
って言われてきた。
ような気がしていた。
女は一貫性がない
言っていることがコロコロ変わる
何言っているのかわからない
順序だてて考えられていない
言っていることがコロコロ変わるのは無責任
そんな風な批評を実際されたり、
小耳にはさんだりしているうちに、
そんな自分を何とか一貫性を持たせようとして
意見がコロコロ変わるのは、無責任、と自分を律してきました。
同時に
白黒はっきりさせなければならない
グレーは許されない
そんな風にも、いつのころから思ってきました。
それが当たり前、と疑わなかった。
だから、一度人を好きになれば、ずーーっと好きじゃないといけないと思っていた。
嫌いな部分があったら、全部きらいにならないといけない気がしていた。
好きな部分も、嫌いな部分もあっていい。
そんな風には受け止められなかった。
自分が極端な性質を持っていた、
ということもあるし、
正解は一つ、と思い込んでいたこともある。
とにかく、
何かを同時に持つ、というのは
一貫性がなくて
矛盾していて
無責任な態度だと思っていました。
だから、まず自分の中に、そういう風な選択肢がなかった。
私の極端な性質と
正解を探す姿勢が
そういう風に私が生きていく姿勢となっていた。
でも、ある時さきこさんに、
感謝しながら嫌いでいい
嫌いながら、感謝できる
と言われて、はっとしました。
感謝する、とは100%感謝ばかりであふれていることだと思っていた。
1%でも嫌だなあ、嫌いだなあと思う部分があれば、それは感謝の対象にはならなかった。
でも、
感謝しながら嫌いでいい
嫌いながら、感謝できる
それを、さきこさんのブログやセミナーを通じて伝えていただくうちに
私は、ずっと対極に振れていただけだった。
と気が付きました。
100%好き、じゃなければ100%嫌い
どっちかに、しなければならない。
もし、ず~~~とAだと思っていたことにBという要素をみつけたら
100%Aじゃない、、、、!!!!
でもでも、本来は
AかBか。しかないと思っていたから
Aじゃないなら、Bなの、、、!!!!???
と一人で混乱していました。
だから、
大好きな人は100%好きじゃないといけない。
もし、大好きな人に、少しでもん????という要素を見つけたとき。
でも、
『大好きだから、100%好きでいなきゃ!!!』を優先して
自分のなかにある違和感を見なかったことにして、
そんな違和感を感じる自分を責め、
自分の感じることを、100%葬ってきました。
そして、
積もり積もった違和感が形となって現れた時には、
悲しくて
悔しくて
それでも自分が悪いと責め、
相手を責めたくなる自分を責め、
その関係からすっかり身を引きたくなってしまう。
一方で、
嫌いな人は、とことん嫌い、笑。
(そもそも、人は嫌ってはならない、が大きかったから、嫌いも自覚できていなかったのですが、笑)
私の場合は、
横暴な父と(今から考えると単に子供なだけだった、、、笑)
過干渉な母が大大大大大嫌いで、笑
感謝とか、これぽっちもできなかった。
子供として、親に甘えたい気持ちや受け入れてほしい気持ちがあることも許せなかった。
AかBか!!
良いか悪いか!!
以上!!!!





とにかく、極端でした。笑
それしか、知らなった。
でも、さきこさんに
『二極に振れるということ』
『きらきらも、ギラギラも、
結局対極に振れているだけで
本質は同じもの』
そう教えていただいて、
その言葉に、はっっっとして。
(この言葉たちは、私の人生を変えた言葉トップ10に間違いなく入ります♡)
AもBもどっちも同時に持っていい
好きも嫌いも同時に持っていい
好みじゃないも感謝も同時に持っていい
グレーでもいい
そんな在り方に
はっとして
ガーン!となって
とてもとてもポカーンとしました。
同時に持ってもいいのか…!!
はじめは、
いやいや、かと言っても
やっぱり同時に相反するものを持つなんてなしでしょう
そんなの有り得ないでしょう
と密やかに抵抗していたのですが
笑


もしかして、
そうなのかもしれない?
と世界を見渡してみると
本当は、
とっくの前から世界はそう存在していた
すでに、全て在った
その混沌に
カオスに
私が耐えられなかった
私が、それを同時に抱えられる器がなかった
だから
一番簡単で
単純で
わかりやすい
いいか悪いか
という基準を採用しているに過ぎなかったのだ
と気付きました。
二極に振れるって
本当に平面的な解釈で
一直線的な解釈だったなあと感じています。
どっちも持つ、というのは
物事を
人生を
多面体で捉えること
だと感じています。
ただの一本道だと思っていたら
上から見下ろしたら曲がりくねった道のほんの一部だった
日本しか国はないと思っていたけど
地球には沢山の国や文化があって、
しかも丸かった!みたいな、笑
自分を振り返って思うのが、
良いか悪いかでしか判断できなかったのは
私の思考が未熟だったから
それしか知らなかったから
抱える器がなかったから
とても、なんというか、
幼かったなあ、と思います。
そして、
いいか悪いか、ではなく
どんな気持ちも
どっちも持っていい♡
と自分に許すと
子育てをする上で
子供と過ごして楽しくて笑うことも
子供が大騒ぎしてイラッとすることも
一緒に持っておける
それぞれをしっかり味わうことができる
仕事をするうえで
自分のやっていて楽しい部分がちゃんとたくさんあることも
できればやりたくないことがあることも
ちゃんと一緒に持っておける
全部を細かくみて、
どちらかに答えを絞るのではなく、
ぜ~~~んぶを存在させたうえで。
そのうえで、
全部をひっくるめて自分で選んでいると自覚できる。
ここまでやって、初めて本当に自分の好みを感じることができる。
そして、
楽しいことばかりじゃないから嫌い、という半ば強引な結論付けや
本来楽しまなきゃいけないことだから、イラッとする気持ちはなかったことにする、
という無駄なエネルギーを使わなくていい♡
この、矛盾を抱えておく、ということ。
相反することを同時に持っておくこと。
すっきりさせずに、グレーのまま持っておくこと。
これが、『器を育てること』
とずっとさきこさんが伝えてくださっていますが、
そういうことだったのか、、、、、
と最近、やっとやっと、肌で感じることができています♡
やっと、自立のスタートラインに立っている気分です、笑。