最近長男の小学校入学に伴い車を運転する時間が格段に増えました。
もともと、
保育園の送迎と職場通勤くらいしか運転しなくて、好きなCDをかけていたのですが、
いつの頃からかなんとなく運転中ラジオを聴くようになりました。
はじめはCD入れ替えのタイミングでCD忘れて、なんとなくいっか〜〜とそのままラジオかけてたのですが。
ふとしたタイミングで
気になる本の紹介があったり、
ハッとする言葉を聞いたり。
なんとなく、私の場合、
いろんなお知らせがラジオを通して来ることが多くて、笑
今ではすっかりラジオがドライブのお供です♡
私が聞いているのは地元のFM。
そこで、
毎月「今月のスラップショットナンバー」といって、
一ヶ月限定で、地元局のおススメの邦楽洋楽のナンバーが毎日かかります。
先日、
6月の邦楽スラップショットナンバーとして紹介されたのが
岡山県里庄町出身の藤井風さん。
失礼ながら、
あまりテレビを見ない私は、
この時まで藤井さんを存じ上げなかったのですが、
紹介された「帰ろう」を聴いて、
運転中に号泣しそうになりました、笑。
メロディーが美しくて、
言葉が美しくて、
思わず帰ってすぐアマゾンでポチりました、笑
さすが岡山県民…!!笑笑
サビの
憎しみあいの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう
これに深く深く感動したのですが、
改めてCDで曲をはじめから最後まで全部通して聴くと
どの言葉もとてもとても胸に染み込んで
繰り返し繰り返し聴きました。
はじめは、
男女の別れの歌かな、と思いながら聴いていたのですが、
繰り返し聴いているうちに
この世との別れの曲みたいだ、
と思いました。
正確にいうと、
こんな風に、人生を終えたい
とこの曲を聴きながら私は深く思いました。
もう是非全部聴いていただきたいのですが、
ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう
待ってるからさ、もう帰ろう
幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物手放そう
ここの部分が大好きで
毎回涙が出そうになります。
私には、
帰ろう、が
還ろう、に聴こえました。
(*あくまで私個人の感想です♡)
私、実は毎年毎年
元旦に今年のテーマを決めるのですが、笑
2015年のテーマが
『浄化』だったのです。
今思うと、
ヨガをはじめて5年目に入り、
自分の中の滞り
自分の中の硬さ
つまり具合
人生に対する閉塞感
にどんどん敏感になって
自分の中のドロドロしたものが苦しくて苦しくて
『綺麗に、透明になりたい』
とずーっと思っていました。
今から考えると、それは
滞りを取り除きたい
本当の自分で在りたい
という願いだったのだと思います。
あの頃は、
自分の中のモヤモヤした感情を、
うまく言語化することができなくて、
とにかくドロドロした自分の中の何かが嫌で嫌で
『私』を主張することが、いけないことだと思っていた。
『自分』を亡くすことが、きれいになることだと思っていた。
だから、
『私』『自己顕示』『自分』というものを
薄く薄く、していくことが浄化だと思っていました。
でも、もちろん『私』を消すことなんてできなくて。
そして、ヨガの教えも、
勝ち負けマインド、善悪マインド、克服マインドで学んでいたので
『物欲』『食欲』『自己顕示欲』、すべての『欲』というものが『悪』だと思い込んでいました。
だから、『欲』を捨てられない自分も、汚い、と思っていた。
でも、設定変更を学んで、
あるとき認定講師講座でさきこさんに言われた一言が、私のこだわりをすっと溶かしてくれました。
「『浄化』って、
本当の自分でないことを取り除く作業だと思うんです。」
それを聞いて、はっとしました。
『自我』があることが、ずっと悪だと思っていたけれど、
そんな聖地にたどり着くようなことはできないと思っていた。
でも、純粋な源から、
本当の自分から来た願いだけにフォーカスして
自分にだけ集中すること
純粋な自分の願いと、外側に向けた偽の願いを分けること
本当の自分、源の自分を知って、
自分でないものを取り除くこと
そこに残った、『本当の自分』『源とつながっている自分』は
とても純粋できれいで、
誰かを攻撃することもなく
滞りのないエネルギー。
浄化、とは
私が求めていた
『滞りのない、純粋な状態』とは
こういうものなのではないか。
とても腑に落ちて、
安心して、自分の勘違いと今後の在りたい姿がまっすぐ入ってきました。
大好きな吉本ばななさんが、
エッセイや作品内でよく
「私は、なるべく自分の足跡、というかエネルギーのあとを残さないように日々少しずつ調整しながら生きている」とおっしゃっていて、
自分の存在の跡を残すことがダメ、と勘違いしていた私は、
なんだか悲しいなあ、という気分になっていたのですが、
きっとばななさんのおっしゃっていたこともこういうことなのかなあ、と解釈しています。
私も、この世を去る時には、
自分の執着をそぎ落として、
さわやかに、温かく、風のように
還りたい
そして、この世にいる間は、
自分を追求しつつ
自分に集中しつつ
出会う人たちと
愛を交わらせながら過ごしたい
そんな願いをふと思い出したのでした。
この歌の最後は
あぁ 今日からどう生きて行こう
と締めくくられるのですが、
私にはその言葉の先に、
とても広いスペースと、
希望が見えた気がしました。