『簡単に幸せ』問題、笑。

私のなかでは最近の大きな出来事で気づきだったので、しつこく続けています、笑。

自分で作った甘酒の元で、甘酒パイナップルスムージー作ってみました♡美味…♡


 

私は、『簡単に幸せ』を選ぶ、と決めてから、

徐々に徐々に『簡単に幸せ』のお稽古を淡々と続けていました。

続ける、と意識する、というよりも、

『幸せ』を含めて、都度都度『簡単』を選ぶと決めなおしていた感じ。

そのたびに、いろんなことをや~めた!してきました。

 

そんな日々を過ごしているうちに、最近あったびっくりな出来事。

それは、ある人に、

「『簡単に幸せ』なんて、ズルい。あなたはズルしている。」

と言われたこと。

 

予想外の人からだったこともあり、本当~~~~~~~~~にびっくりしました、笑。


とても尊敬していた人だったし、まさかそういう流れに会話がいくとも思わず、心の準備もないままのいきなりグーパンチ!って感じ、笑。

 

そこですご~~~く自分でも驚いたのが、

びっくりしたけど、動揺しなかった、ということ。

 

もちろん、一瞬考えました、笑。

 

『え~~~~!!!私、ズルいの???

でも、尊敬しているこの人がいうんだから、そうなのか??!!!』

 

その方に言われたのは


「あなたはズルい。

簡単に幸せを選ぶなんて間違ってる。

何年でも苦しんで、その先に光を見つけたらいい。

今すぐ簡単なんて、真理じゃない。」


というような内容。

 

以前なら、

ここで瞬時に

「はい!!すみません!!!

私が間違ってました!!!!

ずるしません!!!楽しません!!!

もっと苦しみます!!!!!」

(体育会系の研修受けてきたので、もうこの基本姿勢が染みついているのです、笑。)

 

ってなってたはずだった。

 

しかし、私の心のなかに立ち上がってきたのは、


『いやいや待て待て。

ここで、

「ハイ、私が間違ってました!簡単を選ぶのをやめます」ってことは

設定変更には二度とかかわらず、

世間で王道といわれる

(???つっこみどころ満載!!!笑い泣き笑い泣き笑い泣き

苦しんだ先にある(はずの)天国、を追い求め続けること。

 

私がそれを選ぶ、ということは、

周りにもそう在れ、と私が体現する、ということ。

 

そういうメッセージを、

私はこれからずーっとずーっと

自分の後輩たちにも

自分の子供たちにも

自分の患者さんたちにも

自分のヨガクラスに来てくれた人たちにも

自分の大切な人たちにも

みんなに言い続けるのか??

 

『苦労した先に幸せがあるのよ。

だから現世は苦しみなさい!!!って』笑

 

、、、、、、、そんなの

ぜえええええええええええええええええええったい、

嫌だ、、、、、!!!!!!!

 

その人の『苦言』を伺いながら、

頭の中で、数分で結論が出ました、笑。

 

私はこれから、私で在ることで、

周りに何を伝えていきたいのか???

 

「幸せって、簡単だよ」

「簡単に幸せであれるよ」

「ひとりで勝手に幸せで在れるよ」

「条件も外側も関係ないよ」

「誰のせいにも、何のせいにもしなくていいよ」


「どんな状況でも、どんな状態でも、自分で幸せを選んでいけるよ」

 

認定講師としてはもちろんだけれど、

一人の女性として、

妻として、

母として、

ヨガ練習生として、

ヨガインストラクターとして、

医師として。

何より、「徳増智子」として。

 

私は、それを伝え続けたい。

体現し続けたい。

私は、その世界に住み続けたい。

 

だから、

私は、私の責任の下で、

『簡単を体現し続ける。』

可愛い蓮が咲いていました♡

簡単って、ズルじゃない。

簡単って、シンプルに生きること。

余計なことにエネルギーを使わないこと。

周りと調和しながらも、しっかり自分で在ること。

自分でありながら、周りとも調和していくこと。

自分の、本当の願いを、まっずぐ放つこと。

 

すごくすごくびっくりしたし、衝撃的で、悲しく寂しい気持ちにもなりましたが、

おかげで迷いが吹っ切れました。

 

あたらめて、自分の『ヨガ』の姿勢も問い直すことができた。


『一人で勝手に幸せである』ということは、

『一人で勝手に平和である』ということ。

それが、私のヨガだ。


私は、ずーっとずーっと

幸せを周りに委ねてきました。


親のキャラが濃いため、自分が望むような愛情が得られなかったことで親を心の中でなじり続け

親の思い通りになるまいと遅い反抗期を起こし

突然家族を亡くした悲しみを怒りに変え

ずーっとずーっとずーっとずーっと怒っていました。


思い起こせば、私の人生怒り続けていたのです。

怒りが生きる原動力でした。

でもそんな自分が嫌いで嫌いで、

溜めた怒りは時々爆発し

時々怒り疲れると、虚しくなって消えてしまいたくなったりした。


そんな人生に疲れて、色々な学びを求め、

ヨガに繋がった。


でも、私には、ヨガだけでは足りなかった。

ヨガは素晴らしいんです。

私が、受け取れる器がなかった。


ヨガの叡智を受け取る為の土壌が、全然整っていなかった。

ヨガ、というツールで一生懸命自分の畑を耕し、

でもあんまりにも私の土壌は荒れ果てていたので、笑

たくさんのプラクティスが必要だった。


そんな中出会った設定変更が、

私の土壌を一気に肥やしてくれた。


全て喜び、

勝ち負けと対等の世界の話、

そのエッセンスが力を貸してくれた時

一気に畑を耕す作業が捗りました。


ヨガが、まっすぐ私に入ってくるようになった。

ずーっと同じことを聞いていたはずなのに、私の中に違和感なくすーっとヨガが入ってきた。


私がつまんない勝ち負けや捻くれてたことで、

今までどれだけヨガの素晴らしさを取りこぼしていたのか、本当〜〜に自分に絶望しました。笑


そして、気がつくと、

いつのまにか、私の中から怒りが消えていきました。


一生なくならないと思っていたもの。

生きるエネルギーだったもの。

大嫌いで手放したかったのに握りしめて執着していたもの。


それが、徐々に徐々に、薄ーくなって、

今、私の頭の中は数年前とは別人のようです。


もちろん、表面ではいっぱい感じる。

怒り、悲しみ、喜び。

たくさんイライラもする、笑笑


でも、その奥〜〜の方は。


とても静か。

自分も他人も責めなくていい。

平和だ、と思う。


本当は、親を責めたかったわけじゃない。

人生を責めたかったわけじゃない。

自分の人生に言い訳して

人を責めて

人生を責めて

そんな怒りに満ちた人生を辞めたい、が今ちゃんと叶っている。


ここにたどり着いた道がズルなのだとしたら。

ズルくて結構。

ズルくて上等。


苦しくて難しいものが好きな人に責められても

陰口叩かれても構わない。


私は、簡単を選びます。

人にも自分にも、簡単を許します。


そう決め直した出来事でした。