昨日は一日雨でした。
保育園も休みで、三人の子供たちが大騒ぎ…
上2人がはしゃぎ、ふざけ、調子に乗って喧嘩して、怯えた一番下が泣く…笑笑
「オイ〜〜!!喧嘩すんな〜〜!!






!!」








ついキレます…





やっと下2人が寝て、雨が上がって上は近所の友達と家の前で遊びだし。
束の間の静寂。
少しでも時間があると、よっしゃノート!!









と思います。笑
そして、朝は少しでも、マットの上に立ちます。
(朝じゃなくてもいいんですが、ねじったりするので空腹がベター)
部屋がぐっちゃぐちゃでも、
おもちゃが転がっていても、
机の上がはちゃめちゃでも。
作業やポーズの邪魔や危険になるものはささっと片付けますが、
ある程度。
邪魔にならなければオッケー。
昔は
完璧に綺麗な空間で、
静かな時間に、
まとまった時間があるときに。
これにこだわっていましたが手放しました。笑
そんな時間滅多に来ないから。笑
そして、
完璧に綺麗な空間で、
静かな時間に、
まとまった時間があるときに。
この条件が揃わなくても、
ノートブックも
ヨガも
いつでも自分の中の静寂に連れて行ってくれることを知ったから。
ノートブックとヨガって、もちろん見た目ややってること全然別に見えますが、
たどり着く所は一緒。
ノートブックに自分の頭の中や感情をガーーーーッと書き殴ったり
一生懸命呼吸と肉体に集中したりしていると、
だんだん大騒ぎしていた思考の澱のようなものが晴れてきて、
いつのまにか深い場所にいる。
世間の雑音や、
そこからインストールした雑音が消えて、
静寂と安心の場所にたどり着く。
肉体と呼吸が一つになったような。
自分と周りが一つになったような。
でもこれは決して
恐れも不安も怒りもなくなったわけではなく
在るまま、共に在る、という印象です。
在るものを眺める。
在るものと共に生きる。
在るように在らせておく。
そうすると、不思議なんですが、
排除しようとしているわけじゃないけど
排泄されているような。
思考の澱が減っているような感覚になります。
ああ、
私が溜め込みたかっただけだ。
握りしめていたかっただけだ。
と気づく。
逆に自分が今まで押し込めていたものが
ぶぁぁ〜〜っと溢れてきたりもする。
こんなに溜めていたのに気づかなかった!!と呆然としたりして。
自分が今まですごく大事だと思っていた事が実は自分が執着してただけだと気付いたり
思いもしなかった淀みが出てきたり
それを、
身体を使って思い出すのがヨガ。
ノートを使って思い出すのが設定変更ノートブック。
今はそんな風に感じています。
そしてたどり着くのは、瞑想と浄化。
藤本さきこさんが
浄化とは、自分でないものを取り除くこと
とおっしゃっていて、とても深く深く刺さりました。
思考の澱を、全部全部ノートに吐き出して、本当の望みにたどり着く。
全部吐き出すから眺められる。
自分なのか、自分じゃないのかを感じられる。
(考える、ではなく感じる!!)
本当の自分を知る。
他人の声と自分の声を混同しない。
自分が、何を感じているかを誤魔化さずに見る。
そしてさらに、本当はみんな繋がっている事を思い出す。
ヨガは、身体に溜まった設定をあぶり出してくれる。
そんな感覚です。
これは、ある程度やってみる、というお稽古が必要。
ここは思考を黙らせて、とにかく何度もやってみる。
一回二回ですぐ結論出さない。
そして、自分がやってみて何を感じるか知る♡
そうしているうちに、それが習慣になる

やらないと気持ち悪い身体になる

そうなったら、あとは身体が勝手に連れて行ってくれる





静かな場所に、すぐたどり着ける。
たとえ、5分でも10分でも。
そして、たどり着かなくても大丈夫、と思える。
どっちでも良くなる。
ただ、やりたくなる。
どんな条件でも、とにかくやってみる。
何度もやってみる。
そして何を感じるか試してみる。
私もずーっと道半ば。
このプロセスが、とても楽しい

おススメです
