こちらの記事の続きです😊
(だいぶ間が空いてしまいました…
)

もーとにかく頭ぱんぱんでプライドばかり高くて自分の気持ちも感じれなかった私。
降参したのは些細なきっかけでした。
私はずっとヨガをしていて、ヨガが大好きなのですが、何せ身体が硬く運動神経も鈍く、ポーズの習得に時間がかかります。
今はこの身体を心から大好きと言えますが、昔はとにかくポーズが出来ない自分が嫌でした。
ヨガはアサナ(ポーズ)の習得が目的じゃない、と分かっているけれど!!
ポーズ出来る人羨ましい…

いやいや努力が足りないんだよ!
仕事しながら、ヨガに全て捧げてるわけじゃないから仕方ないよね…
そんなことで、ずーっとグルグルグルグルしていました。
ある時、たまたま見たヨガ雑誌で、前私が勤めていた場所にヨガスタジオが出来ていた事を知りました。
ほんの数年前までは、ヨガスタジオが一個もなかった場所。
そして、スタジオを率いていらっしゃる先生は、私が愛して止まないアシュタンガヨガ、というヨガの、日本で数少ない正式指導者。
私が勤めていた時にはいなかった、正式指導者。
そして大好きなアシュタンガヨガのスタジオ。
この数年で、そんなに沢山の事を成し遂げられた方がいる。
私は何にも出来ていない。
モヤモヤ、モヤモヤ…
しょうがないよ、だって私充分努力してないし!
もともと身体硬いし。
その人はそれだけ努力したんだよ。
そんなんで文句言うなんて、意味わかんない!!
何にもやってないうちに文句言うな!!
いつものように、思考が思い切り喋りかけていくる。
でも、ふとした隙間に聴こえてきたのは。
私も、正式指導者になってみたい。
ヨガスタジオ持ってみたい。
現実からは、大それた願い。
今までなら、自分の中にある事も許せなかった。
でも。
確かに聴こえたその声を、ただノートに書いてみた。
その時感じたのは、
ホッとした。
じんわり涙が出てきた。
…なんだ…!!
明らかに見る、感じる、のは、こっちの方だったんだ…‼️
私、感じているつもりだったけど、ずーっと思考の声をノートに書き殴ってたんだ…‼️

あの時の、衝撃と驚愕。
そして、何より予想外に感じたのは、本当に至福、としか呼べないような感覚。
そうか…
私はこんなにもこんなにも、自分のただ好き!ただやってみたい、を瞬時に封印してきたんだ。
やって結果が出なかったらカッコ悪い。
そもそも、他人に認められるような実績がない。
私以上の人なんて沢山いる。
そうやって言い訳して、
世間的に見て成功かどうかを気にして、
ただ、願うことさえ許していなかった。
その事に気づいて、本当に自分に謝りたくなりました。
今まで無視してごめん。
気づかないフリしてごめん。
ダサいってジャッジしてごめん。
そこから、ノートの書き方が変わりました。
急いで結論を出そうとするのをやめた。
どんな大それたと思う願いも、ちゃんと在る事を見つめてノートに書いた。
頭に浮かんだ事を、なるべく全て書き留めた。
そうすると、いつの間にか、
私ってダメな奴、がなくなってきた。
自分を認めるってこういう事だったのか…‼️と驚愕しました。
自己肯定感が高い、とは、どんなダメな自分も受け入れて、全て大好きになる事だと思っていた。
すんごいハードル高くて、自分の中に世間的にNGがあると、ダメってしていた。
そして、私嫌い嫌い‼️って思ってた。
でも、自己肯定する、とは
在る事を認める=在ると気づくだけで良かったんだ…‼️
具体的には、
気持ちが湧く⇨気づく⇨置いておく。
まずは、これだけでいい。
小さな私が喜んでいました。
やっと否定せずに聴いてくれたね、って。
娘「私プリキュアになりたい♡」
母「そんなの一部の特別な人しかなれないからダメ!!」
ってやってたのと一緒だったな…

ノートを書くのか、とってもとっても楽で楽しくなりました。
そして、もっとその願いの先にも気づけるようになった。
スタートにも立っていなかった自分。
気づけて良かった。
そして、自分の声を聴く大切さを知れて良かった。
さきこさん、ありがとうございます😊💕💕💕