適当なギャラの話。 | 多分私はマージナルな人っていうやつなのよ。

多分私はマージナルな人っていうやつなのよ。

いつまでやる気なんだろう、女子大学院生。
今は所属ナシ。でもきっと戻ると思う大学。

もっともっと愛されたいし、愛したい。
溶けてくような言葉と物語を探して、ヒトの居るところを転々と。

エイプリルフールネタではなく、マジの話です。

音遊びの会のギャラの話について、少し掘ってみます。音遊びの会の障害のあるメンバーは、就労継続支援B型という作業所で働いている人が多くて、そこでは給料ではなく工賃が払われます。

 令和3年度の平均月額工賃は16507円です。

そういうメンバーにとって1000円のギャラは安くはないし、うん、お給金としては1日分、妥当な金額だな。(って、本人たちが、この金額をどのくらいちゃんと認識できてるのか分からんのやけど)

知的障害のある人の中には、単純作業ができる人はたくさんいて、重い荷物を運ぶとか、店番をするとか。誰かがついていないとできないから、作業所での仕事になってて、給料ではなく工賃で支払われている。

これに対して私は何にもできない。まぁ、障害者を含む音楽グループで、同じ対価で働くっていうのは、1つのこの問題というか課題?に対する寄り添いだなとも思っていて、できる限りは音遊びの会の音鳴らすメンバーで居ようかなとは思ってる。いつまで続くやら。

この寄り添いは、文化人類学とか社会学とかで用いられる参与観察において、当事者としてかかわるっていう姿勢に繋がるなって思ったので、研究になるなって思ったのもあるし、誰かを助けることのできる意義のある研究にもなるなとも思った。
でも、あ、こりゃあ、音楽学とか教育学(音楽で修士取った学問)ではなくて、もともとの文化人類学・社会学・民俗学方面(文学で修士取った学問)アプローチだなって思ったのもあって、頭切り替えやん。だけでなく、またゼロからの構築だなというのがあって、ぐはぁ。まじかぁ(笑)ってなってる。
 
 障害者と芸能は切っても切れない関係にあって、琵琶法師、瞽女(ごぜ)なんかは視覚障碍者で、そもそも、大体の芸能は賤民という障害ではないけど、一般人から差別されるような人々のやるものだった。演奏とかに対する対価だけではなくて、一般の人とは違う「やつした(一般の人として認められないような、もしくはその集まりの中で下の立場だと認識されるような)」状態の人たちに対して、満たされている一般の人たちが払う浄財という意味もあってお金が一般の人から芸能者に支払われる。


 まぁ、結局このシステムは理想形。現実には崩壊していて、瞽女なんかは、お客と性的な関係を結ぶという性的搾取ともいえるようなことを受けていて、それを目的にお金が支払われていたというのもある。そもそも、実際に性的関係があったからといって、どこまでが愛で、どこからが性的搾取なのかっていう境界なんて、簡単に引けやしない。

 で、芸能者に支払われるお金って何が適当なのって話に戻すと、音楽研究は技術の対価に対して向き合えるけど、浄財に対してはかけられるアプローチが弱いなって思っていて、学問としては行き止まり~。

 音楽は実践してる方が好きだろうけど、都会において音を自由に鳴らせる場所も音を自由に楽しむ時間もあまりなくて、なんだろなぁ、これも行き止まり。

 対価と浄財の話を書いたところで、音遊びの会の在り方について考えるなら、
① 会を運営するために必要なお金。運営のメンバーが続けられる報酬は確保すること
② 音楽家に対して、その音楽イベントの出演料で支払われる分を分担するのではなくて、違う形での収入を確保しそれを分配してそれぞれのギャラにすること

 

になるんだろうけど、まだちゃんと落ちてない。
わからんなぁ。何にも腑に落ちんなぁ。