次は12月13日(金)の南相馬市原ノ町駅前での原発いらない金曜行動の時に、お話ししたことです。

 

 12月7日(土)、事故があった第一原発の視察と座談会がありましたので,行って来ました。この視察は経産省・資源エネルギー庁が企画し、第一原発近隣の住民を対象にして10月、12月と来年の2月15日の3回、第一原発を視察させようということで行われました。参加者の募集は新聞等で行ったようです。

 12月7日の視察当日は身分証明書として運転免許証を出して、そのコピーを取られました。テロ対策のようです。12月の2回目には30人くらい参加しました。

 富岡町の廃炉資料館に集合して、当日の予定の説明を受け、第一原発の今の状況の映像を見ました。映像の最後に「東京電力は原発の過酷事故には備えてきませんでした。」とありました。そして東電のバスで第一原発に向かいました。そこで立入許可証を貸与され、

サンダルに履き替えて発電所構内の食堂で昼食を頂きました。一人390円でした。清潔な食堂でした。それから個人線量計を貸与され、構内巡りのバスに乗りました。

 すぐに多核種除去設備(アルプス)があり、次、原子炉建屋1から4号機が見下ろせる所に、高く組み立てた足場に行って眼下に1~4号機を見ました。そして坂を下って原子炉建屋に着いた時に、「なぜ敷地高が35メートルあったのを、25メートルも削って海面から10Mの所に原子炉建屋を築いた愚かなことをしたんだろうかとがっかりしていました。東電の原発は地震のないアメリカの原発を使ったために、地震、津波に備えることなく、ただ運転効率のために海面から10Mの所にしたのです。その10Mの建屋が地震・津波に襲われて周辺の住民たちは放射能の危険に晒されました。

 第一原発を視察して、人間が制御できない核分裂によって発電するのは間違っていると感じました。危険な発電なので人が少ない過疎地にもって来るのも理不尽だと感じます。

 大熊町の国道6号線から海岸までの土地は中間貯蔵施設になっていて、そこでも貯蔵のための工事が行われています。中間貯蔵施設内の土地に新しく道路を造ったりしていました。案内の人の説明では2本の道路が作られたと聞きました。

 3時頃、廃炉資料館に戻り、グループごとに東電の人を挟んで座談会がありました。

知り合いの人から聞いた、東電原発で15分働いて、1日の日当が入る危険な仕事場はいらない、原発は過疎地の人々の犠牲の上に成り立っていると話しました。東電の人は黙って聞いているので、燃料電池が普及して各家庭に燃料電池発電機があり、分散発電ができる日が来ることをお話ししました。家庭用燃料電池が使われたなら、電信柱や電線はいらなくなるので景観がよくなります。燃料電池のような再生可能エネルギーが早く使われる日が来ることを願っています。