チベット の教訓 | 大局観

チベット の教訓

チベット人 ぺマ・ギャルポ氏の著書 最終目標は天皇の処刑を読みました。
チベットについて考えさせられましたので、それについて記述します。

1.チベットの歴史
 1642年~ 鎖国政策(一国平和主義)
 1949年  中華人民共和国 建国
 1950年  中国軍がチベットに進軍(2~4万人)
       国際的な注目は朝鮮戦争に向いていた。
  チベットは、人数・装備とも中国に劣り、数日間で撃破され
  東チベットは中国の占領下に。
 1959年  ゲリラ活動が盛んになったので、中国はダライラマ
       法王の身柄を拘束しようとした。
       ダライラマはインドに亡命。

≪チベット軍≫
人数:数千人
装備:中国軍の銃は連発式に比し、チベット軍の銃は単発式

中国軍は強くはなかった。近代化は遅れており、日本との戦い、国民党との内戦で弱っていた。チベットがもっとしっかりしていれば、中国の侵略に抵抗できたはず。

2.チベットとは
人口600万人、国土の大半が4000m以上の高地にあり、自然の要塞で侵略されることが少なかった。国際社会の荒波にもまれることがなかったため、チベット社会に“平和ボケ”を生んだ。
(1)チベットは神権政治
法王が一番偉く、首相、大臣が続く。
政府が決めた方針でも、三大寺院の承認がないと実施できなかった。
(2)チベット国民は1枚岩ではなかった
中央集権国家ではなかった。日本の戦国時代と江戸幕府の幕藩体制が入り混じったような状態。

3.高僧たちのミス
(1)軍の近代化に抵抗
20世紀に入り風雲急を告げるようになってもなお、僧侶の間には平和志向があって、近代的軍隊の創設に抵抗があった。
(2)国連加盟に反対
国連とは、キリスト教国の集団であり、そこに加盟することはキリスト教的価値観に縛られると危惧
(3)民主化・近代化に反対
宗教界の既得権益が侵されることを嫌がった
(4)非暴力主義
宗教指導者たちは、自分たちの身に危機が降りかかってきて初めて抵抗しだした。ダライラマ法王が拉致されそうになって立ちあがった。それ以前にも東チベットでは武力衝突が起きていたのに、有効な手を打たなかった。

4.ダライラマ法王 の考え
民族自決権を求めている。国家としての独立を求めているわけではない。
私は、防衛と外交を除く高度な政治的自由があれば、中国の一部でもいいと思っている


チベットを通して 「神権政治の危うさ」 「宗教者の弱点」を見たような気がします


以 上