誠龍です。


それが、龍気の道


今日、ゴスペルの音楽を聴いていた。


力強い声が重なり合い、


まるで魂の奥に眠っていた何かが、


静かに揺さぶられるような感覚があった。


その響きを聴いているうちに、


自分の中の感性がふっと目を覚ました。


うまく説明しようとしなくていい。


きれいにまとめようとしなくていい。


完璧な形にしようとしなくていい。


ただ、感じたものを、感じたままに出せばいい。


最近、少しずつわかってきた。


自分は、頭で考えて形を作る人間ではなく、


感性で感じ、
感性で動き、

感性で表現する


人間なのだと。


それが、自分の本来の姿なのだと思う。


ブログも同じだった。


頑張って立派な文章を書こうとすると、


どこか自分の本当の氣が薄くなる。


人にわかりやすくしよう。


ちゃんとした内容にしよう。


すごいことを書こう。


そう思えば思うほど、


本来の自分から少し離れてしまう。


でも、音楽を聴いて心が震えた瞬間。


空を見て何かを感じた瞬間。


身体の奥で「これだ」とわかった瞬間。


その小さな感覚を、そっと言葉にすればいい。


それでよかったのだと思う。


完璧でなくていい。


一ミリでいい。


今の自分の中にあるものを、少しだけ外へ出せばいい。


その小さな一ミリが、


本来の自分に戻る道になる。


私は今まで、


合気道、整体、氣、心理、神社、音楽、旅、祈り。


いろいろなものに触れてきた。


一見すると、それらは別々のものに見える。


けれど、私の中ではすべてつながっている。


身体を整えること。


心を整えること。


氣を感じること。


自然の中で魂の声を聴くこと。


音楽に心を震わせること。


感じたことを言葉にすること。


そのすべてが、


私にとっての「龍気の道」なのだと思う。


龍気の道とは、


何か特別な力を見せる道ではない。


誰かより上になる道でもない。


完璧な自分になる道でもない。


それは、


本来の自分に戻る道。


自分の中にある感性を信じ、


身体の声を聴き、


魂の響きに従い、


一ミリずつ、自分の本当の道を歩いていくこと。


人に合わせすぎて失っていた自分。


頭で考えすぎて見えなくなっていた自分。


頑張りすぎて置き去りにしていた自分。


その自分を、もう一度取り戻していく。


それが、私にとっての龍気の道。


ゴスペルの響きは、


私の中の眠っていた感性を起こしてくれた。


そして、こう教えてくれたような気がする。


感じたままでいい。


動きたいように動けばいい。


表現したいように表現すればいい。


それが、あなたの道だと。


感性で感じて、

感性で動いて、

感性で表現する。



それが、私の本来の姿。


それが、私の本来の道。


今日もまた、


龍気の道を一ミリだけ歩いてみようと思う。