16日、駅前のDOUTORで、なかなか筆が進まない記事に悶々としている時だった。
Yahoo!から「高橋ユキヒロ死去」の通知を受け取る。
一瞬思考が停止し、それきり何も手につかなくなった。
数日前にジェフ・ベックの訃報を聞いたばかりだった。
仕方のないことと思っているものの、どこかに割り切れない気持ちがある。
また一つ"大切にしてたモノ"がこの世界から失われてしまった。

所属事務所の発表によれば、11日5:59、脳腫瘍から併発した誤嚥性肺炎により亡くなったとのこと。
享年70。
2020年夏頃に脳腫瘍が発見され、以降、二年半近く療養に努めていたが、昨年末に容体が悪化し旅立ったらしい。
─早すぎる···
あまり苦しむことのない最期であったなら幸いなのだが···

この人のことを初めて意識したのはサディスティック・ミカ・バンドの『ハイ・ベイビー』というシングルのジャケット写真だったと思う。
実物は十数年前に処分してしまったので僕の勘違いかもしれないが、ロールス風のバンパーにミュールを載せボンネットに腰掛けたミカの横で、時計を確認するかのように俯向いている男、それが"Drs"とクレジットされている高橋ユキヒロだと思った。
白いハットと幅広のスラッグスに明るい紺のジャケットを羽織り、足もとは白紺(黒?)コンビのウイングチップというコーデ。
─シャレてるなぁ···
リーダーの加藤和彦は勿論だが、その洗練されたスタイルは、当時のミュージックシーンでは格別だった。
─そうなんだ···
ドラマーとしてのプレーより、そのヴィジュアルばかりが鮮烈に印象に残った。
おそらく、僕がドラムスの良し悪しを判断する基準を持ち合わせてなかったせいだろう。
大学受験に失敗し浪人していた頃、トーラ等にくっついてサディスティックスのライブに一度行ったことがある。
その時もフロントで流麗なテクニックを披露する高中正義や後藤次利にばかり夢中になっていた。
今改めて聴いてみると、メリハリの効いた歯切れのいいそのドラミングは、バンドの発する音楽全体に効果的なグルーヴを付与している。
判ってしまえば当たり前の話だが、彼もまた、バンドに欠くことのできない唯一無二の存在···
いやむしろ、結成初期から活動に参加しその終焉までを見届けたことからすれば、彼こそがバンドのノリを決定づけた存在かもしれない。
だがそれも、今だから言えることなのだろう。
当時の高橋ユキヒロに僕が抱いた印象は、スーパーバンドの伊達男に過ぎなかった。

しばらくして、そうした僕の評価がいかに表面的で浅はかなものなのか思い知らされることになる。


最初はTVのニュース映像だったと思う。
「日本のバンドにアメリカ人が熱狂している··· 」
そんなクダリだったと思う。
イエロー・マジック・オーケストラの初見だった。
TVに映る短いライブ映像には、奔流のような電子音で構築された流麗でどこか馴染みのあるメロディをバックに、ステージの真ん中でスティックを振るいまくる高橋ユキヒロが映し出されていた。
足もとはよく分からなかったが、白いシャツの左袖に赤い腕章をつけている。
頭にはヘッドホン、口もとにはワイヤレスマイクがあった。
何故かその姿は、保守的な体制に反抗するレジスタンスを想起させた。
僕はすぐにレコード店に走った。
この時の記憶は曖昧だが、『イエロー・マジック・オーケストラ』と『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』をほぼ同時期に入手したことからすると、USデヴューを果たした1979年頃のことだと思う。
毎日のように聴き込んだ。
その都度のめり込んでいった。
そして初めて、高橋ユキヒロのドラマーとしての真価が分かった気がした。
流麗だがともすれば無機質な印象に終始してしまうメロディラインに、唯一、ユキヒロのドラムスが有機的なグルーヴを与えている。
もし初期YMOが目指したモノが"ロボット"や"AI"のようなことだとしたら、これは誤算だったかも知れない。
ユキヒロのプレーはあたかも生命体の鼓動のように際立っていた。
YMOの音楽スタイルは瞬く間に世界中のミュージックシーンを席捲し、"テクノ・ポップ"という新しい名称を生み出した。

部屋の棚を確認したら、『イエロー・マジック・オーケストラ』と『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』の二枚が残っていた。
十数年前に断捨離した時の忘れ形見のようなものだ。
─やはり飛び抜けてる···
『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』のジャケットを眺めながら思った。
真紅の赤い人民服風のセットアップにモミアゲをカットしたソフトアフロ、ロイド風のサングラスでこちらを見つめる姿は、今見てもその強烈なインパクトに魅了されるばかりだ。
「あぁ··· 」
思わず呻いた。
いつの間にか、寂しさばかりが胸に迫ってくる。
─やはりこの人の影響力は計り知れない···
僕が求めていたモノを与えてくれた人なのだと思った。

もはやプレーヤーは無いので、取り残されたディスクを聴くことは無いだろう。
だが、もう少し手もとに置いておこうと思う。
サディスティック・ミカ・バンド〜YMOといずれもエポックメイキングなバンドに身を置き、その才能を存分に発揮した高橋ユキヒロのことを偲ぶために···

合掌。