なかなか記事をUPできない。
おそらく昨年終盤に起きた一連の出来事に、いまだ心が波立っているせいだろう。
─どう進んでいこうか?
方向性を決めあぐねている自分が腹立たしい。
─愚図だ···
昨日今日のことじゃない。
こうなってしまうと、自分のことながら手に余る。
─選択肢は多くないんだ···
期せずして出来た時間をもう少し使わせてもらおう。

還暦を越えてから年末が近づくと、毎年のように知人から訃報の知らせが届く。
自らの齢を思い知らされると同時に、亡父母が相次いで旅立った十三年前の一連の記憶が蘇る。
─決して消えることはないだろう···
静かににじり寄ってくる寂しさとともに、深く刻まれた記憶に安堵する自分がいる。

今回もそんな年の瀬だった。
年末、義弟の両親が相次いで亡くなった。
どちらも90前後の高齢であり、特に母親は長患いの末のことで、遺族にとってはある程度覚悟の上の最期となったようだ。
だが、想定外のことも起きていた。
一連の経過は妹からのLINEで知ることになったが、父親が危篤状態に陥る寸前、義弟がコロナに感染してしまう。
コロナの症状自体は軽度で二日ほどの発熱でやり過ごせたが、結局父親の臨終に立ち会うことはできなかったとのこと。
─タイミングが悪すぎる···
長男でありながら弟妹との折り合いが悪いことを以前から聞いていた。
「葬儀に出席できないかも? 」とも聞き及んでいた。
義弟の精神状態が心配だった。

何度か妹とLINEのやり取りをするが、どうにも様子がつかめない。
─どうしたものか?
今思えば幼稚な逡巡だが、"親戚"といえど事情をあまり知らない自分が踏み込んでいいことなのか躊躇していた。
─話を聞くくらいイイだろう···
時間的な余裕も手伝って、大晦日の日に義弟の家を訪ねることにした。

築二十年余りと聞いていたが、初めて訪れた義弟の家は経年劣化を感じさせない瀟洒な佇まいだった。
わざわざ玄関で出迎えてくれた義弟に従い2Fのリビングに上がると、急拵えで安置された遺影で両親のお顔を拝顔することになった。
バツ2の妹との結婚に反対だったご両親と生前面識を得る機会は無く、とうとう遺影での初対面となってしまった。
どちらも理知的で柔和な表情が印象的だった。
妹への対応や家族間での確執ばかりを聞かされていた僕からすれば、勝手に抱いていたイメージにうしろめたさを感じるほどのギャップがあった。
─分からないものだ···
遺影に手を合わせながら秘かに無礼を詫びていた。

"忌中"ということで、10月頃に注文したお節が宙ぶらりんの状態になってしまったらしい。
そのお節をツツキながらひっそりとした年越しとなった。

あまり暗い気持ちにさせないように努めながら、義弟の話に耳を傾ける。
残念ながら自宅隔離で父親の最期には立ち会えなかったが、母親とはガラス越しにお別れできたらしい。
「あなたのことが一番好きよ··· 」
母親の口からもれたという最期の言葉···
おそらく彼にとって、永遠に忘れることのできない究極の贈り物となったことだろう。
一瞬、臨終に立ち会えなかった亡母のことが過ぎり、目頭が熱くなるのを感じた。
葬儀やそれに類する一切の事は義弟の妹が仕切っているらしい。
対外的な配慮が働いたのかもしれないが、喪主は義弟が務めたとのこと。
義弟にすれば少なからず溜飲を下げることになったかもしれない。
だが、葬儀には不満が残ったようだ。
故人の遺志は親族だけの家族葬だったが、そうはならなかったからだ。
大手の新聞社で記者として長年働き、晩年は地方のTV局の社長を勤め上げたという御尊父である。
どこかで情報が伝わり新聞紙上に社告が載ったため、望外な弔問客が押し寄せたという。
取り仕切っていた義妹のせいか、親戚の入れ知恵かは分からない。
だが、義弟はそのことをしきりになじっていた。
─なかなか思い通りにはいかない···
特に年長者が絡む冠婚葬祭は難しい。
─仕切ってない人間には分からないだろうな···
義弟をなだめながらそんなことを思った。


僕が訪問した前夜は、中学時代の親友を前に随分と荒れたらしい。
"感謝"や"後悔"など様々な思いが入り混じった、あのやり場のない"喪失感"···
同様ではないだろうが、誰しもの胸を痛烈に苛むのだろう。
─オレは乗り越えたんだろうか?
アノ日から十三年以上経った自分の月日を思った。
分からなかった。
悔しさにくれることは無くなった。
だが、『もう一度会いたい』という気持ちは変わらない。
─一生埋まることは無いのかも知れない···
再び寂しさに囚われそうだった。
その時、ふっと思った。
─オヤジも同じだったかも知れない···
亡父母もそれぞれの両親を亡くした後、こんな気持ちをずっと抱えて過ごしていたのかも知れないと思った。
─誰しもが同じような思いを抱えながら、それでも生きていくんだろう···
その考えは、沈みかけた気持ちを少しだけ支えてくれるようだった。

BGM代わりに点けられたTV画面を眺める時間が多くなった。
年末特番で様々な歌手が登場し、今や"懐メロ"となってしまったかつてのヒット曲を歌っている。
ベテラン歌手に対して、時折、義弟から辛辣な言葉が発せられる。
痛々しかった。
気持ちがササクレ立っているのが、手に取るように分かった。
─そろそろシオドキか?
もはや、僕にできることは何も無いようだった。
妹が用意してくれた年越しそばをハラにおさめ、わざわざ送ってくれた妹夫婦と駅前で別れた。
ホームで時間を確認すると、会ってから7時間以上が経っていた。

年末の終夜運行を期待して帰路に着いたものの、途中の乗換駅で自宅方面の運行が無いことに気づく。
どうやら終夜運行は都心部のみで、郊外に向かう支線は通常運行だったらしい。
年明け早々ヤッてしまった。
相変わらず思い込みの強い自分にガッカリした。
何処かで始発まで時間を潰すことも考えたが、これ以上喧騒の中にいる気分ではなかった。
最も自宅に近そうな駅でタクシーに乗り込んだ。

道は空いているようだった。
年明けでどこか通常の深夜と違う街並みを眺めながら、別れたばかりの義弟のことをぼんやり思っていた。
─アレがいけなかったのかも知れない···
他者の意見をなかなか聞き入れない義弟の言動が気になっていた。
そのことが弟妹との関係を悪くした一因ではないかと思った。
─多分、本人は忘れてるんだろう···
自分にも似たような心当たりがある。
両親を亡くした後、妹と昔話をしていて、妹に対する悪行を蒸し返されてショックを受けたことがある。
─ヤッた側よりヤられた側の方が覚えてるもんだ···
 ウチの妹は赦してくれたが、ヤツの弟妹は赦せないということか?
もはや、全員60近い"イイ大人"だといいうのに···
ここまで拗れると氷解しないことなのかも知れないと思った。
そこまで考えた時、不意に気がついた。
─冷たいな···
他人事のように義弟達の関係を見ている自分に怖気がたった。
僕は少し身震いしながら、タクシーのシートに沈み込んだ。

自宅近くの信号機の傍でタクシーを降りる。
2:00近くになっていた。
元朝詣りにはまだ早い。
あたりはひっそりしていた。
まだ部屋に戻る気分にはなれなかった。
幸い、それほど冷え込んでもいない。
用事はないが、近くのコンビニまで歩くことにする。
義弟に距離を置き、冷めた眼差しを向けている自分が嫌だった。
─伝わってしまったかも知れない···
そうした言動はしなかったはずだが、敏感な人間なら気づくだろう。
落胆が吐息になった。
大きな庇護者を失い、今や実家族の中で孤立したかのような義弟にとって、心の支えは妹家族だけなのだ。
─オレは何をしにいったんだろう···
悔しかった。
義弟との交流はまだ数えるくらいで『腹を割った』関係とは言い難い。
だが、それは言い訳に過ぎないだろう。
本当の兄弟なら違うのではないか?
─やはり、オレが間違ってる。
時間はかかるかも知れないが、義弟との接し方を改めようと思った。
「ヤツはオレの弟なんだ··· 」
月明かりが冴え冴えとした新年の夜空に呟いた。