10月の中旬頃から奇妙な天候が続く。
冬の到来かのような寒気が押し寄せたかと思うと、初夏を思わせるような強い陽射しが射し込む。
あくまでも空気は乾き、吹く風は北寄り。
夕日は『つるべ落とし』のごとく、昼夜の寒暖差は大きい。
季節は間違いなく冬に向かっているのだが、どうかすると、夏に向かっているような錯覚にとらわれてしまう。
町中に棲息する草木の有り様で、ズレた感覚を補正している。

中・高と同級だったトーラのブログの中に、遠い日の光景を見つけた。
トーラの記憶によれば、高校三年の初冬、地元の駅前で偶然出くわした時のことだった。
僕は父親にねだって買ってもらったカメラマンコート(今で言うマウンテンパーカー)を羽織り、"新宿レコード"で手に入れたばかりのバッファロー・スプリングフィールドの1stアルバムを抱えていた。
彼に声をかけられた僕は自慢げにそのレコードを見せ、彼を大いに驚かせたと云うことだった···

どういうキッカケだったかは忘れたが、トーラとは高校二年で同じクラスになってから急速に親しくなっていった。
一度彼の家に呼ばれてからは、近所だったこともあり、頻繁に彼の家に押しかけることになった。
今思うと、相手の都合も考えず、ヒマ潰しのように彼の家に押しかける僕らは、随分迷惑な客だったかも知れない。
だがそんなことを1mmも感じさせることなく、僕らはいつも歓迎ムードで家に上がることを許された。
よく通されたのは、当時大学生活のため家を空けていたアニキの部屋だった。
僕らはそこで誰に咎められることなく、彼がセレクトしたレコードを聴きながら、コーヒーと煙草を片手に他愛もない話に明け暮れた。
そこには学校や自宅では味わえない"解放感"があったように思う。
今思い出してもそれは、すごく"幸せな時間"だった。

トーラの趣向は全般的に大人びていた。
彼がセレクトするレコードは60年代末~70年代初期のロックやジャズが多かった。
そんな中で彼がよくターンテーブルにノせていたのがCSN&Yの『デジャ・ヴ』だった。
今も名盤として語り継がれるそのアルバムは、その当時、僕らが熱狂していたハードロックやオールディーズになりかけていたビートルズとも違う、フォークやカントリー色の残るかなり異色なものだった。
どうして彼がそんなミュージシャンを知っているのか不思議でならなかったことを思い出す。
時の移ろいを無視したかのようなそのサウンドは、初め聴き馴れない奇異なモノでしかなかったが、そう時を置くことなく僕らの耳に棲み着いたようだ。
今でも耳に残るそのサウンドを思い出す度、あの頃のことがまざまざと蘇る。
以来僕の中でトーラは、ハヤリに流されることなく本物を知る男として、秘かに畏敬の念を抱く存在となった。

そんなトーラに感化され、その頃聴くようになったのがCSN&Yの一人、ニール・ヤングだった。
今で言えば『ヘタウマ』ということだろうか?
詞の意味など分かりもしなかったが、どこか理知的な楽曲と、哀切に富んだその歌声が好きだった。
今のようにネットで音楽を楽しめる時代じゃない。
流行から外れた楽曲をメディアで聴くチャンスは皆無だ。
知り合いでレコードを持っている者が見当たらなければ、少ない小遣いをやり繰りして、足と時間をつかって探すしかない。
ニール・ヤングに関連したレコードも随分と探し歩いていたように思う。

─大学受験を控えていた時期にそんなことに血道をあげてたなんて···
 つくづく人生ナメてたなぁ···
苦笑いばかりがこみ上げてくる。

CSN&Yの前身がバッファロー・スプリングフィールドだったことは、おそらく音楽雑誌で知ったのだろう。
どれほど探し歩いたかは覚えてないが、入手できたことに相当な手応えを覚えていたと思う。
─ニール・ヤングはどんなプレーをしてるのか?
そんな期待に胸を膨らませ、家路を急いでいたに違いない。

その日の僕の記憶は甚だ曖昧だが、トーラによれば、そのアルバムはかなりのレア物だったようだ。
どう考えてみても僕がそのことを知っていたとは思えないが、それは、彼が「実物を初めて見た」というほどの代物だったらしい。
彼の驚きぶりを僕がどれほど理解していたかはもう思い出すことができない。
だが、秘かに畏敬する彼を驚かせたのだ。
僕の中の"優越感"のようなモノが満たされたのは想像に難くない。
今となっては記憶の奥底にかすかな断片を見出すかのような一事を、今も彼が覚えていてくれたことが無性に嬉しかった。


トーラの記事を発見したのは9月の末になる。
気がつくと二ヶ月近くも同じようなことを考え続けていた。
─彼に会うべきか?
十年ほど前に彼の消息を知って以来、浮かんでは消え、いまだ決着のついていない事だ。
顔を合わせたい気持ちはある。
だがその都度、
─会ってどんな話をするんだ?
そんな自問に躊躇ってしまう。
別に特別な話をすることもないと思うものの、ごく自然に旧交を温めるということをナニかが阻んでいる。
これまであまり深くその事を掘り下げずにいたが、今回、何となく理由が分かったような気がした。

お互い様ではあるが、今の彼の暮らし振りにかつての面影は見当たらない。
いまだ独身のまま閑散とした安アパートで暮らし、食い扶持を得るための原稿に追われる···
人間的魅力に溢れる彼はその交流の拡がり故に、皮肉にも、すでに多くの愛すべき者達を失う悲しみを味わうこととなったようだ。
今はジョギングや音楽、お笑いなどを慰めに、ほぼ他人との交流を避けてひっそりと暮らしている。·
そんな彼の拠り所は『文章を書くことが好きだ』という一念だけのように映る。
「自分の好きなことしかやりたくない··· 」
その信条にかつての彼の姿が重なる···
いかにも彼らしいブレのない生き様に僕が抱く感情を、初めは"憧れ"のようなモノだと思っていた。
だが、どうやら違うのだ。
それは"嫉妬"にも似たような感情と言ったほうが近い。
どこかで彼の生き様を羨んでいる自分がいる。
おそらくそれは、今の自分の有り様に対する不満の表れなのだろう。
こんな気持ちを嗅ぎ取ったら彼はどう思うだろう?
─決して愉快ではないだろうな···
彼に会うなら、こんな捻れた気持ちを毛筋ほども気取られたくない。
これがトーラとの再会を躊躇う理由なのだと思った。

トーラと最後に顔を合わせてから四十年以上経つ。
お互いの命があるうちに再会できるだろうか?
悲しいことに目算はつかない。
─ままよ···
なんとかするしかない。