相変わらず思ったように時間を作れない···
もうニヶ月近くも経ってしまったが、旧友のブログでチック・コリアの訃報を知ることとなった。

2月9日、希少ガンにより死去。
享年79。
コリア氏自身のFacebookのページへの投稿で確認されたらしい。
あまりにも唐突な報せだった。

今となっては記憶がかなり曖昧だが、チック・コリアの存在を知ったのは、おそらく高校二年生の頃だったと思う。
中学生になってようやくビートルズやストーンズを聴くようになった僕は、ラジオの深夜放送を通して、次第に洋楽に傾倒しつつあった。
高校に進学した頃はハードロック全盛期···
ご多分にもれず、僕もディープ・パープルやレド・ツェッペリンなどに夢中になっていた。

二年生になり、新しいクラスメイト達と馴染み始めると、結構音楽にウルさい連中が集まっていることに気づいた。
今にして思えば、この70年代のミュージックシーンは百花繚乱···
ミュージシャンは無論のこと、新たなジャンルの音楽が日々勃興していた。
クラスメイト達のお気に入りも多種多様で、そのどれもが僕には魅力的だった。
その中でも強く印象に残るのは、やはりトーラだろうか···

同じ中学出身で中学三年時は同じクラスだったが、親しく話すようになったのは高校二年になってからだった。
彼の家に遊びに行くと、その頃大学通学のため家を出ていた兄貴の部屋によく通された。
その部屋には、彼の兄貴が買い集めたレコードが大量に残されていて、その中から彼がピックアップした楽曲を聴きながら、タバコとコーヒーを手にお喋りに興じるのが常だった。
今あらためて思い返すと、夢のような時間だった···
PCもケイタイも無い時代···
当然、サブスクのような音楽配信サービスは存在しない。
流行ってない楽曲を聴くためには、レコードか当て所ないラジオの放送に聞き耳を立てるしかなかった。
レコードは高校生だった自分には高価な代物で、視聴を何度か繰り返してもなお、なかなか購入の踏ん切りがつかないモノだった。
それをトーラの兄貴の部屋では、時に彼の解説付きで堪能することができた。
時代は少し遡るが、ロック黎明期の数々の楽曲···
ボブ・ディランやCSN、ニール・ヤングといったミュージシャン達を知ることとなったのも、この部屋でだった。

ある日、『Return to Forever』というアルバムをトーラがチョイスした。
初めて聴く曲調のインストゥルメンタルだった。
チック・コリアというジャズピアニストのソロアルバムだと言う。
当時、ジャズの電気音楽化を志向していたマイルス・デイビスの愛弟子だと教わった。
少し前に流行ったプログレッシブロックとは違う···
電子ピアノを駆使したそのサウンドは革新的で、神がかり的なテクニックに裏打ちされていることが楽器音痴の僕にも分かった。
だが···
─よく分からない···
それが僕の感想だった。
「大学生になると、こういう音楽ばかり聴くようになるらしいぜ。」
助け舟を出すように、トーラがそんなことを言った。
ジャズに馴染みの無い自分には、まだその良さが分からなかった。

三年生になり、トーラと同じ音楽部のNと親しくなる。
アコースティックギターの上手いヤツだった。
その頃、相手の嗜好を探る手だてとしてよく用いていたのが、三大ロックギタリストの誰が好きかといった問いだった。
Nに尋ねると意外な答えが返ってきた。
ジミー・ペイジだと言う···
ギターテクに精通している彼なら、当然、答えはジェフ・ベックだと思い込んでいた。
それが、派手な演奏スタイルばかりが目立つペイジだとは···
訝しむ僕を彼は自宅に連れてゆき、『天国への階段』を何度か聴かせた。
そして、
「こういうことができるのに、おくびにも出さずにチャラチャラしてるところがカッコ良くねッ? 」
と笑った。
そのシャレた言いまわしに、僕は自然に頷いていた。
「ちょっと違うんだけど、もっとスゴいのがいるぜ··· 」
そう言うと、ついでのように『Land of the Midnight Sun』という見知らぬアルバムをプレーヤーにのせた。
1曲目の『The Wizard』が流れてすぐに、もの凄い衝撃が襲ってきた。
凄まじかった···
おおよそ人間業とは思えない、正確無比なピッキングの速弾き···
執拗なまでの単音の羅列と、複雑な音階に電撃が疾走った。
アル・ディ・メオラという若干22歳のギタリストだという。
チック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエバーで頭角を現した、新進気鋭のミュージシャンだと教わった。
─チック・コリアか···
頭の中で、トーラの兄貴の部屋で聴いた楽曲が蘇った。

間もなく、近所のレコード店で見つけた『The Romantic Warrior』を当てずっぽうで買った。
ロック色の濃い、リターン・トゥ・フォーエバー活動後期のこのアルバムは、自分の耳にすぐに馴染んだ。
もっともミュージックシーンでは、クロスオーヴァー(のちにフュージョン)と呼ばれるジャンルが萌していた。
僕の耳も受け容れる準備が出来ていたのかも知れない。
いずれにせよこのアルバムが、コリアへの愛着と、ジャズという音楽ジャンルへの理解を深める足がかりとなった。
新たな『愉しみ』を覚えた自分が、少し大人になったような気がした。

ただ、それだけの話に過ぎない···
だが、コリアによって導かれた音楽の世界は、今、間違いなく僕の人生を豊かにしている。
相変わらず雑食系の僕は、ジャンルはマチマチだが、今もなお音楽を耳にしない日は無い···
もし、コリア氏の音楽と出会うことが無かったなら?
僕の日々は少し彩りを欠いていたのかも知れない。
そして何より···
この記述をしていてつくづく思うのだが、今より純で無垢だったあの頃を呼び起こすことが出来たろうか?
ソコには確実に、忘れてはならない大切なモノがあった。
今、それをまざまざと思い出すことができた。
─ありがたい···
そのことは、わずかだが今の僕に力を授けてくれるようだ。
すべては、チック・コリアのおかげに違いない。



*コリア氏は家族を通じて、Facebookにこんなメッセージを寄せている。
 「私の旅にお付き合いいただき、ともに音楽の光を明るく灯してくれた方々に御礼を申し上げます。

 演奏や作曲、パフォーマンスをたしなむ方々には、ぜひ続けていただきたいというのが私の願いです。
自分自身のためでなくても、他の人々のためにぜひそうしてほしいのです。
世界がより多くのアーティストを求めているからという理由だけでなく、ひとえに楽しみが増えるからです。

 そして、長年ともに過ごした家族のような素晴らしいミュージシャン仲間へ。

君たちから多くを学び、ともに演奏できたことは天からの贈り物であり、栄誉でした。

私は可能な限り創作の喜びを、心から敬愛するすべてのアーティストとともにもたらすことをつねに心掛けてきました――それが私の人生を豊かにしてくれたのです。」


思えば、いつも楽しそうに演奏する人だった。
偉大なるプレーヤーでありクリエイターが逝った···

限りない感謝の気持ちを胸に、あらためてご冥福をお祈りします。