多分、人前で話すと誤解されるんだろう···

新型コロナウイルスが依然猛威を奮う中、日常生活にも様々な制限が強いられる今日この頃。
だが、それもそれほど悪くないかと思い始めている。
これが、俗に云われる「ユルみ」というものだろうか?
『緊急事態宣言』前後のようなピリピリした緊張感は薄れている。
それというのも、僕の生活にはほとんど変化がない。
極端に言えば、外出時のマスク着用やモノを触った後の手洗い等、当たり前の衛生習慣が増えたくらいだ。
自宅待機を強制されることもなく、収入に増減が発生する状況でもない。
さすがに人出の多そうな場所への移動は避けているが、それでストレスを感じるということもない。
もう二十年近くも、そうした場所に出かけることの方が苦手になっている。
幸いなことに、家族、友人、知人から感染の知らせも受けていない。
とりあえず自分の身の上だけを考えればイイわけだ。
自身の体調に気を配り、不要不急の外出を自重する···
『マスク着用』や『手洗いの徹底』、『3密の回避』等、自分に出来る予防策を、治療薬やワクチンが提供されるまで続けてゆくだけだ。
それで感染してしまったら?···
─仕方ない···
ほとんど自信はないが、医療の力をかりて生き延びるしかないと思っている。

一見ストレスフリーの如く振る舞っているものの、心中は穏やかとは言い難い。
自宅から一歩足を踏み出せば、他人の所作が気になる。
特に、通勤時の交通機関内と職場の中では、知らず知らずのうちに他者を観察している。
マスク着用の有無は無論、フィジカルディスタンスやお喋り等が気になって仕方ない。
どちらも密閉空間で、生計維持のため、やむを得ない気持ちで身を置いているということも、ジレンマを増幅させている要因だろうか?
ゴールデンウィーク明けから、マスク着用こそ守られるようになったものの、一般に云われるフィジカルディスタンスは全く守れる状況にない。
職場での休憩中には、マスク無しで無遠慮に近距離で話しかける者も多く、気に障ることこの上ない。
─無神経なヤツ!
 他人にウツさないって保証できるのか?
 いいトシをして自分のことしか考えられない···
 救いようがないヤツ···
そんなことを心の中で毒づいてしまう。
だが、···
期せずして、就業意欲は高まっている。
『休業要請』下でも稼働を余儀なくされ、こうした非常の状況下にあっても、社会的に不可欠な業種の一つであることに気づかされたためだ。
この業種に就いて、初めて抱いた『やり甲斐』だった。
一時期、業務量の爆発的増加で身体的にはキツかったが、精神的には充足感を得ることが出来た。

幸いなことに、通っている練習場は閉鎖されることなく営業を続けている。
待ち合いのテーブルと椅子は撤去され、3密を防ごうとする配慮が伺える。
出入口には消毒液が常備され、マスク着用を促す放送が頻繁に流れる。
だが、練習場側のこうした営業努力に反するように、利用ルールを守らない者は多い。
暑さのせいだろうか?
5月時点ではマスクを着用してない者が稀だったが、今では逆になっている。
マスクを着用していない者に限って、練習そっちのけでお喋りに余念がない。
先日見た最悪の者は、着用したマスクを顎下にズラした状態で、他人のコーチングに熱中していた。
誰かに咎められた時に体裁を繕うため、全く無意味でも着用をしてるのだろうか?
身なりもちゃんとした、僕より年配の御仁がである。
見た目とその行動のギャップに舌打ちする思いだった。
ゴルフはエチケットとマナーを重視するスポーツだ。
ルールブックの最初の頁でも謳われている重要な精神である。
そのことを軽々しく逸脱する人間が、自己流のウンチクをタレている姿は醜い···
怒りを通り越して悲しくなった。
今回のコロナへの対応に限らず、知ってか知らずか、マナーを守れない者は普段から散見される。
だが、これほど情けない気持ちにさせられるのは、やはり、コロナのせいで日常的に気持ちをすり減らしているからかも知れない。
JGAなどのガイドラインによると、練習場は屋外であり、打席の間隔は2.5m以上を確保しているので、マスク着用は推奨レベルらしい。
だが、僕の通う練習場は、2.0m未満しか間隔がないように見える。
まして、マスク無しの状態で、飛沫を撒き散らさず会話ができるとは思えない。
他人の健康に少しでも配慮できないものか?
ゴルファーの端くれであれば尚さらだ。
思わぬことで、練習場に向かうことに二の足を踏むことになった。

都議選公示前の不審な『アラート解除』後、東京では、連日感染者が増加する一方だ。
僕が居住するのは隣県だが、東京の通勤圏なので、当然、悪影響を避けることは出来ないだろう。
世間では更なる『自粛要請』を期待する声もあるようだが、果たしてどうなのか?
知事だけの責任ではなかろうが、コロナに対する都政側のスタンスは迷走してるようにしか映らない。
自ら掲げた指標をクリアしないまま、こじつけのような意味不明な判断で経済活動の再開に舵取りした行政側に、今後、『自粛要請』を発令するほどの基準を持ち合わせているとは思えない。
僕の穿った見方では、感染拡大の抑止には限界を感じてしまったのではないか?
行政側の指示と言っても、あくまでも強制権を持たない要請レベル···
罰則がないことをこれ幸いと、要請を無視する者が出てくることは、これまでの経緯でハッキリしている。
圧勝で再選を果たした都知事だが、その要請を反故にする者が後を絶たないということは、その信任具合もその程度に過ぎない。
感染拡大に関わる行政側の統制力は、今後もほとんど期待できないだろう。
勿論、大阪等、要請レベルで見事な成果をあげた地域もある。
だが、それはその地域全体で、危機感を上手く共有できた賜物ではなかろうか?
結局のところ、感染確率を少しでも低減させるのは、我々市民一人一人の行動次第ということになる。
いい加減、行政側にばかり期待する甘えた考えは棄てたほうがいい。

こうした異常な状況に置かれると、自分の無知を認識すると同時に、様々なことを新たに学ぶことになる。

緊急事態宣言が発出される前、都市封鎖や移動制限が発動されるものと思っていた。
だが、実際には政府にそうした権限は無く、何人たりとも個人の自由を制限することが出来ないことを初めて知った。
TVに映し出される諸外国の強権的かつ高圧的な感染対策に、恐怖と違和感を拭え無かった僕は、このことに少なからず安堵を覚えていた。
そして、同時に思った。
─コレはスゴいことなんじゃないか?
ウイルスの『封じ込め』には成功してないが、諸外国に比べ死者数は圧倒的に少ない。
市民一人一人の自主的な防疫意識と、医療従事者の不眠不休の尽力によって、この程度の惨禍で治まっている可能性が大きいと思った。
─大勢は危機感の共有ができている。
 意識がズレているのはごく一部に過ぎない···
その一部の者達を何とかするために、政府にもっと権限を与えようという声も聞くが、それは断固として反対したい。
ともすれば自らの保身に奔る今の政治家達に、その権限を適切にふるうことができるとは思えないからだ。
今まで通り、個人の尊厳と自由は失いたくない。
─だとすれば···
僕が抱いた憂鬱は、この先も永遠に無くならないモノなのかも知れない。
大袈裟に言えば、それは自由主義の世界につきまとう暗の部分なのかも知れないと思った。
─交通事故や災害に被災する確率はどれくらいなんだろう?
今回の、ウイルスに感染する確率と比べてみた。
よく分からないが、それほど違いがあるようには思えなかった。
だとすれば···
─他人を災いに巻き込むのはイヤだ。
 リスクを見極め、自分にできる留意を怠らないこと···
「オレは悪運には強いんだ··· 」
思わず呟いた時、また一つ、自分の内にある『弱さ』を乗り越えられた気がした。