すでにニ月近くも経ってしまったが、気づきに恵まれた一日···
やはり記述しておきたい。

1月9日、午後から横浜に向かう。
ここ数年恒例となった、旧友カワカミの作品を鑑賞するためだ。
第32回川へのドア展+特別展示「中尾誠へのオマージュ展」···
場所は昨年同様、横浜市民ギャラリー。

カワカミが受付当番のため、閉館してから呑もうということで、夕方に到着するよう約束していた。
当然、仕事は休みを取った。
午前中に練習を済ませ、少し早目に出発する。
昨年までは、他に予定がある日は練習を控えていた。
時間を上手く遣うことが出来ず、大抵、その後の予定に支障をきたしていたためだ。
年末年始に考えを巡らせ、今年からは極力練習時間を削らないよう決めていた。
もちろん体調とは常に相談しなければならないが···
どうやら、この日は上手く時間を遣えたようだった。
だが、会場の最寄駅に着いてから少し迷ってしまう。
スマホのナビ任せで降りた駅が、前年とは違ったためだ。
閉館までは充分余裕のある時間だが、約束の時間には遅れそうだった。
久々に焦っていた。
スマホのナビを睨んだまま、いつしか足早になる。
ギリギリで到着した時には、思わず安堵の息が漏れた。
─そう言えば···
ここ数年、時間に遅れるということに、強迫観念に近いものを抱いているかも知れない。
─そうだ。
 ヘボとはいえゴルファーのはしくれ···
そうした矜持のようなモノなら、悪い話ではないと思った。

カワカミの出展作品は『シュシの行方1 - 5』、『眼には見えないシュシ』の六点。
いずれも小品だが、今回新たに描き上げたものだった。
昨年の11月···
「そろそろ描き始めようかと思ってる。」
アトリエを訪ねた時に、彼がポツリと呟くように言った。
テーマを尋ねると、「タネ」との答えが返ってきた。
一昨年の作品『Man-Chald』で描いた男の顔が、「種のように見えてきた」とのこと···
訴えたいメッセージがあるようではなかった。
脳裏に浮かんだイメージを表現しようとしているように推測した。
果して、完成した新作は?

まずは『シュシの行方』だが、枯渇したかのような空間を、粒状の黒点が浮遊している。
あるものは放射状に縦列に、あるものは不規則に···
そして弾け、分離し、あるいは結合を繰り返しながら···
それは『種』と言うより、むしろ『花粉』の如きものを連想させた。
次に『眼には見えないシュシ』は、やはり乾いた空間の中に、取り残されたかのような群青の痕跡···
その群青に潜むかのように、勾玉のような『種子』が見え隠れしている。
青色は、彼のこれまでの作品の中で度々目にしている最も馴染み深い色だ。
何かこだわりの理由があるのだろう···
彼の無垢な心情を表しているのだと、僕は勝手に解釈している。
そうした心象風景の中に、いまだ発芽すらしていない未知の『種』を発見したということだろうか?
そんなことを想起させた。
すぐに自分なりの解釈が浮かんだ。
─そうしたモノはあり得る···
人は誰も、複数の『種』のようなモノを内に宿しているのかも知れない。
だが、『種』を結実させるためには、その一つを丁寧に辛抱強く育くんでゆくしかない。
その過程で手つかずとなり、取り残された『種』はどうなるのか?
それは、損なわれたり失われたりはしないのだろう。
そのまま内に残存し続けるに違いない。
僕が思い浮かべた『種』とは、いわば『可能性』のようなモノ。
─しっかり育くんでゆけば、どんな実を結ぶのか?
作品を前に自分の内を探ってみる。
果して、ソレらしき存在を覚えた。
─変わらないんだなぁ···
面映ゆいような感情がこみ上げてきた。
だが、それも一瞬のこと。
変節を繰り返してきた自分の内には、育成半ばで放置された『種』が、その行き場もないままやるせなく漂っているような気がした。
─安易に見捨ててなければ···
よくよく見直せば、カワカミの『眼には見えないシュシ』の勾玉のような『種』は、発芽を果たした後の姿のように思えた。
似たような岐路に巡り合いながらも、その都度しっかりと自己に向き合いながら歩を進めてきた彼に、僕は嫉妬していることに気づいた。


カワカミの展示スペースの反対側に、故和田彰氏の作品が数点展示されていた。
いずれも初見の作品だった。
潜水艦のような乗り物が描かれた作品は、晩年の集大成的作品らしい。
コレは、作者を『極楽浄土』へと導く船なのだと言う···
残念ながら、芸術論や絵画の技法などに暗愚な上、作者の人となりや哲学、思想も知らない自分に、この作品の真価を語ることは不可能だ。
それでも、明るく温もりを感じさせる色彩と瑞々しいタッチで描かれたこの作品には、強く僕を惹きつける何かがある。
そして···
─何故だろう?
この人の作品を見るたび、懐かしい感覚に囚われてしまう。
僕の大脳皮質の奥底に眠る、遠き日の風景や光景を呼び起こし、その中で抱いた数々の素の感情を思い出させる。
今となっては眩いばかりの美しい記憶···
ソレはすべからく僕を自己肯定感で満たし、そうした感情が自分の内に未だに残ることに、僕は深く安堵するのだ。
─もはや、取り戻せないだろう···
そうは思いながらも
「もしや··· 」と、
いつの間にか背筋を正している自分に気づかされる。
その印象は、やはり今回も同じだった。


受付の後ろの小規模なスペースには、やはり、すでに彼岸に旅立たれた中尾誠氏の作品が展示されていた。
グループ展メンバーの大学時代の恩師だと言う。
表現に一切の迷いが感じられない。
精緻な構図と描線が的確な色彩で彩られ、重厚な存在感を放つ。
矛盾するようだが、柔軟性を兼ね備えた揺るぎのない意思が、壁面からコチラに眼差しを送ってくるような感覚に囚われた。
審美眼に自信のない自分だが、『本物』という気がした。

同じスペースには、グループ展メンバーのかつての作品も展示されていた。
氏の作品に大いに触発されたのだろう。
ほとんどの作品の中に、氏の描写と類似した要素が窺われる。
氏の表現に対する憧憬と、深い敬愛の情が偲ばれた。
期せずして、メンバー個々の過去と現在の作品を比較することが叶い、各々が時の積み重ねの中で獲得してきたモノを感じ取ることができた。
ソレは層の厚みこそ違うものの、カワカミ同様、歪みの少ないあるべき姿を形造っているように感じさせた。

あれから二ヶ月近く···
僕は少し打ちのめされていたのかも知れない。
閉館後、カワカミと呑み交わした時の会話が拍車をかけていたように思う。
「お前だって競技会で成績を残して、名を挙げれる可能性はあるんだろう? 」
カワカミのその問いかけに、僕は全否定の答えをしてしまったのだ。
別れてしばらくしてから思った。
─可能性は限りなく低い···
 でもゼロじゃない。
そんな信条でゴルフにこだわり続けているつもりだった。
同じ様な言い回しで彼の創作活動を励ましたこともある。
─アレでは嘘になる···
 何であんな言い方をしたんだろう?
その理由はすぐに分かった。
カワカミの進歩を目の当たりにし、それとひき比べた時、自分の現状に自信が持てなかったからだ。
作品という否が応でも証となるような材料を、自分の中に見出すことができなかった。
ここ数年、競技会はおろかまともなラウンドすらできていない···
そのことが、自分の後ろ向きな態度に繋がっていると思った。

またしても頭をもたげた逃げ腰的態度に辟易しながらも、練習場にだけは通い続けている。
欲を言えばきりがないが、身体は何とか動いている。
おおよそイメージ通りに振れるようになってきたが、あと一歩、最後の一線が超えられない。
─もう、ラウンドで確かめるしかないんじゃないか?
そう思った時気づいた。
─ずうっと続いてるなぁ···
思い返せば、もう三十年以上もこんなことを繰り返している。
紛れもなく、ゴルフは僕が取り組んできた自分史上最長の事柄なのだ。
─三十年は短い時間じゃない···
 この時間を信じよう。
積み重ねてきた時を、自分が信じられなくてどうするんだと思った。
─結局、いつもココに戻ってくる···
 可能性の有る無しだけじゃない。
詮もない堂々巡りのような僕の葛藤···
これからも繰り返すのだろうか?
いつか、
「一所懸命ゴルフやってる。」
胸を張って答えられるようになりたい。