1月11日···
試合開始の1時間半前、千駄ヶ谷駅の改札外は、すでに夥しい数の観戦者達でゴッた返していた。
大学ラグビーの選手権決勝···
久方ぶりの伝統校同士の好カードだが、やはり、理由はそればかりではないだろう。
開場したばかりの国立競技場目当ての観衆も相当数いたと思われる。
トシのせいか、人ゴミに紛れることがすっかり苦手になってしまった自分だが、まだ好奇心は衰えてないのだろうか?
人ゴミの喧騒の中にあっても、ストレスよりも高揚感の方が強かった。
初めて見る競技場と、久方ぶりの大一番への期待にワクワクしていた。

こんなホットな場所に来れたのは、大学時代の先輩のおかげだ。
この一週間前にあった大学時代の集まりの席でのこと···
ここ数年歩行が難しくなり、昨年の終わり頃に電動の車椅子を導入したMさんが、この日のチケットを障害者席で購入したところ、介護者一名が無料で観戦できると言う。
誰も同伴を希望する者がいなかったので、自分が手をあげた次第だ。
ラグビー観戦は三十五年振りくらいになる。
仕事は休まなければならないが、ラッキーだった。
気心知れた仲間なら余計な気を遣うこともない。
やはり、持つべきは友なのだ。

Mさんと合流し競技場へ···
まだ未整備の駅前の交差点を移動するのは難儀だったが、そこから先は、比較的スムーズに入場することができた。
あまり慣れていない様子の会場係に案内された車椅子席は1F、一般席の最上段、一般席への階段出入口の手前にあった。
車椅子での出入りが無理なく出来る充分なスペースで、前後左右が狭い一般席とは比較にならないほど快適だ。
1Fながらスタジアム奥まで充分に見渡せ、競技の臨場感もダイレクトに伝わってきそうだった。
この日は空席が目立ったが、それでもMさんの話によれば、オリンピックのチケットは入手できなかったと言う。
収容人員は約6万、障害者席は500〜750と聞いている。
当選確率を比較した時、健常者との違いがあるのかは分からない。
だが、もう少し枠を拡げられなかったのだろうか?
公共の交通機関の移動に不便がつきまとうため、障害者達がこうした場に足を運ぶ機会は少ない。
一念発起するような気持ちで応募した人も少なくないのでは?
パラリンピックを黎明期から推進してきたこの国主催の大会だ。
今回のようなミレニアムなイベントにはもう少し破格な扱いをと思うのは、僕の偏った考え方なのだろうか?

試合開始まで充分余裕があったので、一旦席を離れ、Mさんと場内をブラつきながら施設などを見て回る。
Mさんお目当ての5F屋上庭園は、残念ながらオリンピック終了時まで閉鎖されていた。
仕方がないので4Fまで上がり、フェンスで囲まれた外周通路を進みながら、競技場周囲の様子をノンビリ見て回る。
目新しさのせいだろうか?
通路を行き交う人の数が多い。
まるで都心の雑踏を往くが如くだ。
周囲の景色に気を取られ自分のペースで進んでいると、Mさんと離れてしまう。
思えば、車椅子の付き添いで行動するのは学生時代以来となる。
─忘れてるなぁ···
自分勝手な振る舞いを少し反省した。

4Fには障害者席は設けられていないので、座席出入口通路からフィールドを見下ろす。
ピッチにはられた芝の緑が美しい。
季節外れの緑色に人工芝と勘違いしていたが、後から聞いた話では天然だったらしい。
さすがに世紀の大舞台、素晴らしい仕上がりだった。
4F席とはいえ、フィールドまでの距離をあまり感じさせない。
特に今回のラグビーなどフィールドを広く使う競技は、かえって全体を見渡すことができ、充分な観戦が期待できそうだった。
迂闊にも僕は、そのことをMさんに推奨していたが、こうした趣向の違う選択の自由も、やはり健常者ならではのことなのだ。
Mさんは気にも留めていない様子だったが、どんな気持ちだったのだろう?
今になって思えば、配慮のない発言が恥ずかしい。
他人が時折見せるこうした態度には敏感なくせに、自分のことには無頓着···
僕にはまだまだ思慮が足りない。

座席出入口の通路は狭い。
大人二人がようやくすれ違えるほどだ。
緊急時の退避には大きな混乱がともなうだろう。
大事が起きないことを祈るばかりだ。

肝心の試合は、我が明大側にとっては、受け止め難いほど残念な結果だった。
前半を0-31···
まさかのノートライ。
予想を大きく裏切る早大の一方的な展開となった。
スクラムで早大を圧倒するも、その後のライン攻撃でほとんど前進できない。
ボール際への早大側の粘りが凄まじい。
一度倒れ込んでも起き上がり、何度もラックに参加してくる。
バックスに振る明大側のロングパスはスピード感を削がれ、苦し紛れにしか見えない。
ミスを引き起こし、幾度も早大側にターンオーバーを許した。
後半に入り、運動量の鈍った早大の間隙を突く形で何度かトライをあげ追撃を図るが、時すでに遅く、ゲームは最後まで早大側の支配下で終わった。
リザルト35-45···
展開とスケールは違うが、四年前のW杯、対南ア戦、日本の奇跡的なジャイアントキリングを見せつけられたような気分だった。
かつては敗戦の悔しさから、応援チームに対する罵声も聞こえた応援席だったが、今回そんな声を聞くことはなかった。
─時代が変わったなぁ···
一瞬、粗野で直情的だった遠き日が浮かんだ。
今は、興奮と熱気の引き潮の中、ただ、『荒ぶる』の唄声が静かに木霊してくるだけだった。

帰りの混雑を避けるため、しばらくそのまま席に留まった。
30分以上はおしゃべりしていたと思う。
ゆっくりトイレを済ませノロノロと競技場を後にしたが、駅に続く道は入場時とは比べものにならないほどの混雑振りだった。
バリアフリーのスロープ上にも黒山の人だかりが出来ている。
駅まで続く道は当然ノロノロ進むしかないが、それでも、これだけの人ゴミを車椅子で進むのは大変だ。
前を歩く人との接触を避けるため、一定の距離を置いて進むのだが、時折、追い抜いてきた者が斜め後方から前に割り込んでくる。
相手に悪気は無いのだろうが、これが結構ヒヤリとさせられる。
その都度スピードを落し、距離を保つのにかなり神経を遣わなければならない。
また、大声で話しながら近づいてきた者が、Mさんの存在に気づき、突然声をひそめる場面も度々···
183cmと長身の自分と、車椅子に乗った小柄なMさんの取り合わせはどんな風に映るんだろう?
そんな奇異な目線に晒されている気分を味わうことになった。

ようやくの思いで駅にたどり着き、駅員の誘導でMさんを列車に乗り込ませ、ホーム上で見送った。
じきにやってきた反対方向の列車に揺られながら思った。
─Mさんはどんな気持ちだったのだろう···
特殊な場所ではあったが、久方ぶりに半日ほど行動をともにして、Mさんの生活上の苦労が垣間見えるようだった。
ホーム上から見送った、Mさんの厳しい横顔が気になっていた。
それは、ただ疲れていただけかも知れない。
だが、何らかの不満を宿しているようにも見えた。

Mさんと出会ってすでに四十年近く···
思い返してみれば、僕はMさんのことをどれだけ知っているんだろう?
まして···
今日のようにMさんの気持ちに思いを巡らせたことがあったろうか?
先輩風を吹かすことなく、独自の視点で物事の道理を語ってくれるこの人に、僕は常日頃少なからぬ恩義を抱いている。
にも関わらず、僕がMさんの気持ちを思い遣ったのは、今日が初めてだということに気づいた。
─まだココか···
悔しかろうが何だろうが致し方ない。
─ようやくココまでたどり着いたんだ···
 今はこれで良しとしよう。
期せずして、自身の現在地点を知ることとなった。