グループ展『川へのドア展』に行った時のこと···

展示作品を一通り鑑賞し終え、ふと見ると、受付の後ろにも小部屋があることに気づく。
その頃には会場入りしていたカワカミへ愛想の無い挨拶をした後、大した予感もなくそのスペースに足を踏み入れた。
─おっ···
他の展示作品とは明らかに次元の違う世界に、思わず釘付けになる。
力強く確かでありながら、どこまでも伸びやかな線···
落ち着きのある色調にもかかわらず、まるでソレ自体が発光してるかのように息づく豊かな色彩···
技術的なことは全く分からないが、大らかで屈託のない感性に支えられたソレは、周囲に『慈愛』を振り撒いているようだった。
僕の鑑賞眼と語彙力では、これ以上の表現は作品を陳腐化させるばかりだが、あたかも自生するがごとくキャンバス上に立ち現れたどこか懐かしい光景に、僕はしばし我を忘れて立ち尽くした。

昨年急逝された和田彰氏の展示スペースだった。
享年63···
今回で31回を数えたこのグループ展発足当初からのメンバーとのことだが、僕は今回を迎えるまで、その存在にすら気づけていなかった。
初めてこのグループ展に足を運んでからすでに三十五年近くになる。
もしかしたら、会場で会っていたかも知れない。
─話がしてみたかったなぁ···
残念ながら、そのチャンスが永遠に終えたことを知ることとなった。

展示作品はどれも、グループ展メンバーの私蔵品ということだった。
中には作品と呼ぶに価しない走り書きのようなものもあったが、そのどれもが、所蔵者個々の意匠で作品としての体裁を整えられ、鑑賞に見合う形で展示されていた。
そのことからグループ展メンバー個々の、この画家に対する敬愛の念が容易に伝わってくる。
カワカミにとっては、今も追い求めるアーティストの一人ということだった。
─イイ出会いだったんだ···
今なお絵を描き続ける彼の、モチベーションを支える重要な要素の一つが分かった気がした。

あれから一ヶ月···
あの日展示されていた作品群が今も頭をよぎる。
そのたびに自分の小ささを思い知らされることになるのだが、同時に、いつの間にか身に染みついてしまったトゲトゲしい狭小な眼差しは弱まっていくようだ。
余計なモノが洗い流されていくようで、決して悪い気はしない。
そして、姿も知らない無名の画家のことを考える。
─どんな思いで描いていたのか?
 どんな葛藤があったのか?
 何を大切にしていたのか?
 望みは何だったのか?···e.t.c
そんな問いかけで頭が一杯になった次の瞬間、あまりに俗な詮索に終始する自分に嫌気がさす。
「難しいことは分からない。
ただ、描くのが好きなんだ··· 」
そんな声が聞こえてくるようだった。
─きっと、そんなことなんだろう···
そして、目指したいことと無関係なつまらないことばかりに囚われている自分に気づく。
─オレは一体何がしたいんだ?

世の中には、有名な者より和田氏のように無名な者の方が多いだろう。
「有名には有名たる所以がある。」
そのことは分かっているつもりだ。
「無名が有名に勝ることはある。」
そのことも分かっているつもりだった。
つまり、モノゴトの価値判断に有名、無名は関係ないというスタンスでいたつもりだった。
それがどうだろう?
和田氏という才能の発見には、無名であるが故の特別な感情が付加されていたような気がする。
それが、物心ついた頃から根強い『判官びいき』ならまだしも、有名への希求の裏返しだとしたら?···
自分の心の奥底に潜む、暗く屈折したモノを見た気がした。
─オレは有名になりたいのか?
そんな自問を幾度か繰り返してみたが、完全には否定できないようだった。

人間誰しも、こうした自己矛盾を内面に孕んでいるだろう。
だが、そうしたことに気づくたび、そのことに囚われ停滞してしまう自分が腹立たしい。
和田氏の作品が示したような、大らかで屈託の無いゴルフがしたい。
まだまだモガキ続けるしかない。
求め続ければいつかは辿り着ける。
そのことを、再び自分に言い聞かせた。