貴子はホットのカフェオレを頼み、彼はミルクティーを頼んだ。
2人は席に座るとしばしの沈黙が続いた。
彼は黙ってミルクティーを飲むと壁面に飾られた誰が描いたわからない絵画を見つめている。
貴子は、可愛らしいウサギが描かれた白いティーカップに注がれたカフェオレを見つめながら頭の中で必死に言葉を探した。
「元気にしてた?」
「なんだよ急に。2週間前に会ったばかりだろ」
彼は照れ臭そうに応えた。
「だって先週会ってないじゃん」
ふとそう吐き出した自分の言葉を後悔するように貴子は俯いてしまった。
彼の前で重たい女にはなってはいけない。
そう決めて今日ここへ来たはずだった。
「でもおかげさまで、資格の勉強は随分とはかどってるよ」
「ほんと?それなら良かった」
「貴子は?何か特別変わったことはあった?」
「変わったことかあ。地元の友達が結婚したくらいかな」
「結婚?すごいね。地元の友達ってことは貴子と同じ21歳だろ?」
「うん。すごいかな?今は若くして結婚する人も多いじゃない?」
「そうだけどさ。結婚なんて考えられないな」
「裕二君は、結婚願望とかないの?」
「うーん。そうだね。今は別にいいかな」
その言葉が自分に向けられている気がして貴子は何故か胸が少し苦しくなったような気がした。
「そう。いまは裕二君、仕事とか勉強とか忙しいもんね」
「そうでもないけどね」
貴子はその後続く言葉が見つけられず、2人の間に気まずい空気が流れてしまった。
「あ、そうだ!ねえ、あれ覚えてる?」
貴子は、咄嗟に発言した声が思ったより大きくなってしまったことに自分でも驚いてしまった。
「びっくりした!なに?」
「あの、私と裕二君が出会った日のこと」
「俺と貴子が出会った日?」
「あの日もすごい雨で、私たち初対面なのに相合い傘したんだよ」
「なんだよそれ。だからどうかした?」
彼は苦笑いしながらそう応えた。
「どうかしたってわけじゃないけど」
貴子は、何故このタイミングで自分がそんなこと言い出したのかわからなくなってしまった。そして、彼の冷たく思えてしまう反応に落胆していた。
何を話せばいいのかわからなくなってしまった貴子は、つい昨日の出来事を話していた。
「あ、昨日ね、短冊に願い事書いたの」
「あ、今日七夕だもんな」
「ほら、駅前の広場に毎年笹の木が飾られてるでしょ?」
そして、自分が見かけた気になる願い事の話、それが今日叶っていたという話、しかもそれが偶然にも続いたという話、それがついさっきの出来事だったという話、貴子は彼に一通り話し終えていた。
「ほんとかよそれ!嘘みたいだな!」
彼はおかしそうに笑った。
「嘘みたいでしょ?でもね、本当なの!ついさっきだよ?」
「雨でそんなに大喜びしてる男ってのも不思議だよな!」
「うん、でも今日雨だと嬉しい人は探せば絶対いるでしょ?」
「そうだけどさ」
貴子は笑っている彼を見て少し安心していた。
この話をして良かった、貴子が心からそう思ったとき、彼が思わず声をあげた。
「おい、あれ見ろよ」
彼は貴子の後ろの席を指差した。
そちらの方向に目を向けると貴子も思わず、「え!」と声をあげた。
そこに座っている人物はとても筋肉質で、肌は焦げ茶色に日焼けしていた。
その人物が異様に思えたのは、頭には黒い長髪のカツラを被り、上はピンクのカーディガンを羽織り、下はミニスカートを穿いていたからだった。
カーディガンは筋肉質の身体で今にも破けそうに張りつめていた。
ミニスカートからはがっしりとしていて少し毛の生えた足がのぞいていた。
その人物は、コーヒーを飲みながら店内をキョロキョロと見渡している。
「あれ。。。男だよな?」
「だよね。女装?」
少しずれているカツラが滑稽に思えたのか貴子は顔を伏せて笑いをこらえた。
するとその人物は携帯電話で誰かに電話をし始めた。
「もしもし、私だけど!聞こえてる!私よ!」
その声はあまりにも大きく、口調は女性そのものだったが、野太く低い声は砂利を喉に詰まらせたようなガラガラ声だった。
そのギャップに彼も笑い声を漏らしそうになったが、貴子と同じようにテーブルに顔を伏せて必死に笑いを堪えた。
「ちょっと!遅れるってなによ!毎回あんた私を待たせてるでしょ!ちょっと言い訳なんていらない!ふざけないでよ!」
どうやら誰かと待ち合わせしていてその誰かは、遅れているらしい。
その異様な姿と声の大きさでカフェの店内客の視線はその人物に集まっていた。
そんなことはお構いなしに大きな声で電話をしていたその人物は、急に席を立つと店の出口に向かって歩いていった。
「ふざけないでよ!女心わかってないわ!信じられない!なによもう!もういい!だから言い訳はいらない!もう帰るから!もういい!あけみだって怒るときは怒るんだから!いい加減にして!!ばか!!」
その人物が横を通り過ぎていくとき、口紅を引いていて頬にはチークが塗られてあることを貴子は見逃さななかった。
その人物が店を出たあと、貴子と彼は思わず顔を見合わせて大笑いしてしまった。
「うそだろ!」
「びっくりした!それにしても裕二君、笑いすぎたよ!」
「いや貴子だって笑ってたろ!でもあれってさ。。。」
「気づいた?もしかしたらそうかなって」
「貴子がさっき話してた短冊の願い事の?」
そう言うと彼は再びげらげらと笑い始めてしまった。
「女になりたいって思う人だって世の中にはいるでしょ?」
貴子は、自分がやけに冷静にコメントしてしまったことがまた余計に可笑しくなってしまった。
そのあと貴子と彼は、あれやこれやと女装した人物について終始、想像と妄想を膨らませた。
しかし、貴子には実際女装した人物のことは、どうでもよかった。
彼と久しぶりに会えて笑い合えているこの瞬間がとても幸せに感じられていたからだった。
時間が来たので、2人はカフェを出て駅に向かって歩くことにした。
「裕二君、今日はありがとう」
「こちらこそ。ごめんな、あんま時間なくて」
「ううん」
貴子は、もっと一緒にいたい、という喉まで出かけた言葉をぐっと飲み込んだ。
「あ、そうだ。俺さ、来月有給もらえることになったんだ」
「え、ほんと?良かったね!ずっとまともに休み取れないって言ってたもんね」
「そうなんだよ。んでさ、来月泊まりで旅行に行こうと思って」
「旅行?いいなあ。地元の友達と?」
「ううん、貴子とだよ」
「え!私?」
貴子は隣を歩く自分より少し背の高い彼の顔を凝視した。
「なんだよ。顔になんか付いてる?」
「ううん、私のこと旅行に誘ってくれたの?」
「変な奴だな。だからいま話してんだよ。ほら、付き合ってから泊まりで旅行とか行ったことないから」
「裕二君!」
貴子は思わず彼に抱きついた。
「なんだよ!やめろって!どうしたんだよ、人がいるから!」
貴子は、嬉しさと心の底からくる安堵と、不安から解放された気持ちに思わず目から涙がこぼれた。
いつの間にか雨は止んでいて外を行き交う人々は賑わっていた。
2人は駅前の広場に立って、向かい合った。
「じゃあ、俺いくね」
「うん、気をつけていってらっしゃい」
「そういえば気になったんだけど、貴子は短冊になんて書いたの?」
彼は、広場の真ん中に凛々しく立つ笹の木に目をやった。
何枚かの短冊は雨のせいでボロボロになっていて、破けた短冊が、地面に何枚かへばりつくようにして張り付いていた。
「叶ったからいいの」
「え?教えてよ」
「叶ったことはもういいの」
貴子はそう言うと笹の木のてっぺんを見上げた。
そしてもう一度、空を見上げる。
織姫と彦星は、久しぶりに会えたのだろうか?
いつしか空は晴れていて小さく千切れた微かな雲が浮かんでいる。先ほどまであった閉塞感はどこかへ消えていて人々は笑顔で広場を行き交う。
偶然だろうか、貴子には、日差しがちょうど笹の木だけを照らしているように見えた。
【完】
