天満と天神って違うの?
結論は
そもそもどちらも
「天神信仰」で、
天満宮も「天神さん」
という名で親しまれてますよね✨
天神信仰というものは
道真の没後、
平安京で雷、火災、疫病などが続き、
清涼殿落雷の後に道真は
大自在天や大威徳明王と
繋げて考えられるようになり、
畏怖や信仰の対象となる。
とのこと。
「天満」とは
道真死後に送られた神号
「天満(そらみつ)大自在天神」
からといわれる
「日本書紀」の「虚空見(そらみつ)」から、
「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことが由来といわれる。
うーん、「そらみつ」がひっかかる
コトバンクさんに力を借ります。
そら‐みつ
※万葉(8C後)一・一「虚見津(そらみつ)大和の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾こそいませ」
※万葉(8C後)一・一「虚見津(そらみつ)大和の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾こそいませ」
なんとなく
感覚はつかめてきた。
次は國學院大学のデータベースのお力を
紀の巻3神武条の末尾には、饒速日(にぎはやひ)命が天磐船(あめのいはふね)に乗って太虚(そら)を翔けめぐり、この国を見つけて天より降りられたので、「虚空(そら)見つ日本(やまと)の国」と名付けられたという地名起源説話がある。ソラミツを「空から見た」と捉える立場である。これが当時の一般的解釈であったらしいことは、万葉集における表記がいずれも「虚見(つ)」ないし「空見(つ)」(「つ」は仮名または無表記)とされているところから推測できる。なおソラは神のあらわれる空間と考えられていたらしい。紀では天地開闢の時にやがて国常立尊(くにのとこたちのみこと)となる一物が「虚中(そらのなか)」に生れたとされており(巻1第一段一書第一)、同じく紀では天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)も「虚天(おほぞら)」において生れたとされている
なるほど〜!!!
「空から見た大和の国」
からきた言葉で、
「そらみつ」は大和の国の枕詞
いつからか江戸頃には、
怨霊としての道真像が薄れゆくと共に、
優れた学者としての道真像が広く知られてゆくようになり、
天神は「学問の神様」として多くの受験生が合格祈願足繁く通う信仰対象となる。
まとめると、
天神と天満は同義であり、
「天神」はそのまま天神信仰をさし
「天満」は「そらみつ」
つまり、
「雷神となった道真が空に満ちた」
「天から見る」
という事を意味する。
そして「学問の神様」
道真さんはきっと今日も
受験生のみなさんの事もきっと
空から見てるんじゃないですかね〜!!!