未来のATM になって捨てられて、リエとまんま失楽園してから、俺は猿になった。

隙さえあれば、女と出会った。
いい女と巡り会えば、すぐ同棲した。

真面目なサラリーマンが、四十代で血迷った。

しかしまあ、独身の四十代って、モテるのよ、これが。

日本全国を股にかけた、自分探しの旅(笑)。

未来を忘れるのには随分時間がかかったが
、今は背負うものが多すぎて…。

みんな、俺をどうか許して。

それなりに、苦しんだからさ(笑)



健康や大切な女性は、近くにいる時はそのありがたみを感じないことも多いけど、失った時にその存在がいかに大きかったのか、近くにいることが当たり前ではなかったのかを知ることになる。じわーっと。でももう遅い。じっくりと長い時間後悔することになる。あーあ、若かった俺。横暴だった俺。誰もいなくなったちゃった。自業自得。今のところ、健康は失ってないけど。
今では本当に信じられないだろうが、俺が暗躍していた時代は、エキサイトフレンズにはごくごく普通の女性が登録していて、多分、100名程度と知り合っただろうが、一度もサクラはなかった。この前書いた筒持たせみたいの以外は。当時は、若者が知り合うきっかけの、最有力になっていくだろうなと本気で思っていた。何しろ、知り合いたいタイプを全国から、指先一本で探せるのだ。合わなければ、一回で終わればいいし。
それが、ならず者たちの横行と、警察当局の過度な反応のせいで、すっかりいわゆる出会い系サイトは荒れてしまい、その名を出すだけで、眉をひそめられる存在になってしまった。かえすがえす残念だと思う。
でも、短い期間だったけど、女の子に話しかけることが苦手な俺が、たくさんの女子と知り合い、そのうち7人の女子と半同棲生活を送れたのはひとえに出会い系のお陰だった。でも、逆に今は、去っていった彼女達を思うと、辛い気持ちになるんだけど。
名古屋から関西に移ったんだけど、関西での出会いが生々し過ぎて、書けなかったんだ。だけど、そろそろ記憶も薄らいできたw
ボチボチ書き留めないと、マジで忘れてしまうw
恋は素敵だ。あのドキドキする感じ。まさに神様ありがとう、だ。特に一番ドキドキする瞬間は、一番最初に手をつなぐ瞬間。さっきまで全くの他人だった女性が一気に近付く。恋はいいな。いつでも恋をしていたいなー。
その曲を聞くと、その人を思い出してしまってたまらなくなることはあるよね。
雪の華、can you celebrate?、voyage、残酷な天使のテーゼ、I m proud、デスパレードとか、おれにとっては耳を塞ぎたくなるくらい切なくなる。
何回も書いたと思うけど、やっぱ、追わせることが基本だと思う。自分から行きたいんだけどじっと我慢。今までは、待ってると不思議と食いついてきた。そうすれば、引け目なく、モノにできた。いや、恋が成就した。そして、追わせるためには自分磨きが欠かせない。と、いうことです。
不思議な、何だか幻想的な密会を重ねたことがあった。その当時住んでいた家から車で二十分くらいで、その待ち合わせの小さな湖はあった。
待ち合わせ場所はその小さな湖の駐車場。
深夜にお互い車に乗ってきて、駐車場で待ち合わせた。深夜だから、辺りは当然、真っ暗。少し霧がかかっていて、幻想的。
すぐ横には、ぼんやり湖のレストランも見える。
俺の車に彼女が乗ってくる。
スリムであること、バツイチであることは覚えてる。
何を話したのかはもうすっかり覚えていない。彼女とは、その後、日を変え、カラオケで歌ったり、神戸にドライブしたりして、郊外のラブホで。
結果は自然消滅だった。
しかし、何回か待ち合わせ、俺の車の中でおしゃべりした深夜の霧の湖。
あの人のセリフじゃないけど、「マボロシー」と思えてくる。
細かいとこ思い出したらまた書こう。
国立大学院卒のリエとプリクラ撮った時、「ずるい、貴方、まるでアイドルみたいじゃない。」と言われたこと思い出したw
怖い者知らずで自由奔放だったあの頃が懐かしいw
久しぶりに、何気なく、これを始めた当時の文を見た。あの時と今とでは環境がまるで変わっている。あの後、生活に追われて、なかなか続きが書けない状況になったが、その状況が今も続いている。あの頃は毎日が事件ばかりで、自信を持って?人様に伝えることができた。今はすっかり普通の生活に戻り、何も事件は起こらない。ま、そういう時期ってみんなあるんだろうな。
いつもいつも思い当たる。幸せは不幸の始まり。不幸は幸せの始まり。いいことばかりは続かないし、悪いことばかりも続かない。夜明けの来ない朝は来ないとも言うが、本当にそうだと思う。
人生ゼロ説。人はオギャアと産まれた瞬間、自分が発したエネルギーをゼロにするために動き始める。ゼロにすることが人生の目的かどうかは分からない。だけど、あらゆる帳尻がゼロになった時、人は人生を終えるのだ。
だから不幸な人は落ち込む必要はない。必ず、その分の幸せがやってくる。もちろん、すでにその分の幸せを使ってしまっている人は、ただただ耐えるのみだが。
そして、幸せな人も決して慢心になったり、油断してはならないのだ。